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歌壇のこの一年

●短歌、この一年の成果と課題 (16年11月から17年10月)

 歌壇 沖縄、基地、戦争をめぐって 小石雅夫

はじめに

この一年、というよりこの数年来と言った方がよいのだが、きわめて異様な情況がひしひしと感じられる。それは七十年前に無謀な戦争の敗戦と言う大きな犠牲の上に初めて獲得された憲法をはじめとした民主的な諸法制を「戦後レジームからの脱却」をといって、つぎつぎに壊体していく首相を政権の指導者としてから極まってきたものだ。
その結果は、憲法に反する秘密保護法、集団的自衛権、戦争法、共謀罪を強行し、そしてついには憲法九条に自衛隊を明記し「戦争放棄」「交戦権の否定」を空文化してしまい(後法優先)海外で戦争ができる改憲への謀略的画策にまで踏み込み始めた。その結果はこれらが国民の基本的人権のすべてをさまざまに制約して、軍備予算が拡大優先され国民の日常的ないのちと暮らしに関わる社会保障関係の削減などとなって国民のための福利に逆行するものとなることは明白である。
またそうした国民軽視のなかに森友、加計等の私利・利権のようなモラルハザードにつながる根源がある。
こうした現在の情況は、否応もなく社会についてのありように無関心ではいられなくする問題である。ましてや今日この現実のなかで短歌(文学)創造行為に携わっている者にどのような動静があるのであろうかをさぐってみたい。

沖縄現地でシンポジウム

今年二月に沖縄・那覇市で短歌シンポジウム「時代の危機に立ち上がる短歌─今、沖縄から戦争と平和を考える」が開催された。主催は「時代の危機に立ち上がる短歌」実行委員会とK5(強権に確執を醸す歌人の会)である。二月四日、五日の二日間であったが、初日は戦跡(嘉数の丘)と辺野古見学・訪問を行ない、短歌シンポジウムは五日の午後に行われた。シンポジウムのプログラムは大きくは3部にわかれ、まず永田和宏、三枝昂之、名嘉真恵美子さんによる鼎談。
ここで鼎談者三人がそれぞれ話し合うために資料として出された二十一首の整理されたものにしたがって、その中からの一部を書き出してみる。

Ⅰ 鼎談者の歌

沖縄を翁長雄志を孤立させて深く恥ずべしわたしもあなたも 永田 和宏
香港の若人よOKINAWA(ここはに) is(ほ) not(ん) JAPAN(ではない)と言へないからどうしよう 名嘉真恵美子
自決命令はなかったであろうさりながら母の耳には届いたであろう 三枝 昂之

Ⅱ 沖縄の人の歌

急降下また急降下あはれあはれやかれとばされ街亡びゆく 翁長助静 永田選
上陸前に沖縄語(ウチナ―グチ)を習ひしとぞ米兵が言ひけるYOU・美人(チュラカーギー) 桃原邑子 名嘉真選
亡妹(いもうと)の「無言の戦記」代筆すわが内の沖縄戦(いくさ)果つる日あれと 黒島八重子 三枝選

Ⅲ 沖縄以外の人の歌

「沖縄のすべてのものはそこに住む人々のもの」文太は激す 小松俊文 永田選
沖縄は沖漁場(おきなは)、はるか遠い場所 本当に日本でいいのかどうか 三枝昂之 名嘉真選
民族が違ふと言はれ黙したり沖縄(うちなー)びとにまじりて座せば 渡 英子 三枝選

*参考・沖縄を考える上で

沖縄を返せとかの日歌ひゐし己を問ひて問ひ詰むるべし 永田和宏 三枝選
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 後世特別ノ御高配ヲ」─辺野古、高江は何ぞ 小石雅夫 三枝選

この鼎談では司会の三枝氏の問題提起的な発言からそれぞれの沖縄への向かい方が鼎談者の自作や他作品にふれながら語られたが、右に引いた永田氏、三枝氏の歌のように沖縄に対するときの姿勢に見えるあるためらい、うしろめたさのようなものを、おもいつよく感じさせられた。それは「やまと=本土」「沖縄島(うちなー)=沖縄」という歴史的な過去現在にわたる相互利害の背景が投影していることが抜き難くもつものであろう。そのことを知る者としての真摯さであり、誠実さではあるだろう。だがそうした姿勢がいまのような切迫した現実の情勢の前では抑制となり、まさに「状況のリアリズムに対して主体のリアリズムが立ちおくれ」てしまうことになっていくことに結果してしまうように思えた。むしろこれらは日本全体のこととしてためらいなく挙って歌い上げていくことこそが重要であるということを5月号の報告にも書いた。
それとこのシンポジウムで特筆すべきことのもう一つは、右の永田、三枝両氏を含めた結社を異なる歌人たちが、あの辺野古の海を目の前にして、その浜に同じように腰を下ろして、現地の人の話を肉声でともに聞いたと言う事実である。思えばこうしたことがいままでにあったであろうかという、一つの感銘深い場面であった。

沖縄を詠む、こと

沖縄での短歌シンポジウムに合わせたかたちで歌誌「現代短歌」2月号に組まれた特集である。二十八人の七首詠作品と五本のさまざまな文章と沖縄秀歌三十首選が組まれている。七首詠作品から引く。

土人と言いバイキンと呼ぶ者ありて言葉はキリッキリッと刺す 大城 和子
凌辱の餌食となりし故郷は今も戦さの続く米基地 玉城 洋子
「まあだだよ」七十一年経ちてなお舌出し潜む不発弾数多 島袋香代子
「いいところ」「好き」「また来たい」その先に「住みたい」は見えずここが沖縄 當銘さゆり
「戦場(いく さば)ぬ哀(あは)り」をつひに忘れざる辺野古の座り込みの尊し 大口 玲子

この特集にはいくつか文章があり坂井修一が「沖縄を詠む視点」の一つを「やまとを聞けば恥多きなり」という見出しで書いている。
その書きはじめの部分を引いてみる。
「 基地を持ってお帰りくださいと声震えバスガイド言う旅のわれらに 『百の手』古谷 円
米軍基地見学バスツアー。その終わり近くに、ガイドさんに『基地をお持ち帰りください』と言われた。車内は一瞬で凍りついたような静寂が訪れた──接客業という職業柄、ガイドさんがこうした言葉を発するのは普通では考えられない。三句の『声震え』には、常識や規範を乗り越えるときのたかぶりが感じられる。
見学したのが三沢基地や厚木基地であれば、『いったいどこに持ち帰るのか?』という疑問が即座に浮かび上がっただろう。『基地を持ってお帰りください』とはまさに沖縄から発せられる言葉。これを言うガイドさんと、これを聞く乗客の間には、沖縄対内地の深い亀裂があるのだ。」

ここには先にみた永田氏、三枝氏の歌に投影していたのに通じるような、それよりもさらに明確なように沖縄に対するときの姿勢を見せられたのを感じた。それはこの文章の見出しにも使われた馬場あき子と米川千嘉子二人の歌にもよりはっきりと詠われている。

琉球処分ここにして聞く沖縄にやまとを聞けば恥多きなり 『南島』馬場あき子
綾蝶(あやはべる)くるくるすつとしまふ口ながき琉球処分は終はらず 『あやはべる』米川千嘉子

この二首について坂井は次のように解説している。
「『沖縄にやまとを聞けば恥多きなり』。琉球処分の話を聞いて、〈やまと〉の一員である馬場は深い自省に沈んでゆくのだが、そこにはまず『恥多きなり』という正直な気持ちがあった。
米川の一首では、現地の可憐な蝶の姿を観察しながら、長く続く沖縄の痛みに思い至る二十一世紀の日本人の姿が描かれる。蝶が花の蜜を吸う姿を有心の序として、くるくると口吻から『ながき』を引き出し、日本政府による琉球処分は明治に完結したのではなく、(米軍基地を押しつけている)今なお続いているのだ、というのである。」
現在の実力ある歌人たちが真面目に真向かおうとするとき、沖縄はこのように重いさまざまな内実を伴なってそれぞれに迫る内容をもった問題でもあるのだ。

戦争と平和への関心

さてここで、憲法九条改憲─情勢に歌壇はどうであるだろうか。自衛隊の憲法への明記という憲法本丸への攻略が始まっても、いまのところ、8・15を語る歌人の会、九条歌人の会、万葉九条の会が恒例の集会をもち、九条歌人の会が毎年募集する冊子歌集『憲法を詠む 第十集』の作成編集がされたことにほぼとどまっているのが実情である。
ただ、こうした情勢に歌壇誌・紙の間にもいくつかの関連した対応が試みられおこなわれてはいる。
歌壇誌『短歌』(角川)8月号が別冊の冊子「緊急寄稿 歌人・著名人に問う なぜ戦争はなくならないのか」を編集して付録として付けている。各界人に「なぜ戦争はなくならないのか」の設問で、回答執筆者は、歌人の岡野弘彦、篠弘、秋葉四郎、平山良明、米川千嘉子ほか、俳人の金子兜太、宇多喜代子ほか、詩人は小池昌代ほか、評論の坪内稔典、半藤一利ほか四十九人が各一ページずつ四百字程度の分量で寄せた文章を載せている。例えば「母として 大口玲子」「人の値段 佐佐木定綱」「均一化の果て 東直子」「『倫理』と『感性』 森本平」などという具合である。新年号に短歌手帳などを付録にすることはあるが、こういった内容のものを商業誌でおこなうのは珍しいことであろう。
また歌誌「歌壇」(本阿弥書店)8月号では特集「時代の転換期に詠まれた短歌」が編まれていて十三人の歌人がそれぞれのテーマで執筆をしている。執筆内容は、戦争、歴史的な社会的事件、震災などであるが、三枝昂之の総論のあとの各論最初に、碓田のぼるさんが「大逆事件(一九一〇・明四三) 表現のたたかい」で石川啄木について、時代閉塞状況のなかでの啄木の表現をめぐる問題について書いている。ほかに「戦争への第一弾─満州事変 来嶋靖生」「聖戦という幻想─太平洋戦争 川本千栄」「熱き抵抗のちから─六〇年安保という充溢 加藤英彦」「多様な震災詠と、これから 福士りか」などである。
なおこちらは短歌紙の「うた新聞」8月号であるが、中面センター見開き2ページで、「在日アメリカ軍基地・施設のある街をうたう」という特集が組まれた。青森三沢基地、埼玉所沢通信基地、東京麻布米軍ヘリ基地、東京横田基地、横須賀基地、厚木・座間基地、静岡御殿場基地、広島呉基地、山口岩国基地、長崎佐世保基地、沖縄名護・うるま・宜野湾、那覇各基地を十九人が作品と小文で掲載された。わたしも横田基地をうたう一人に加わった。一部を紹介する。

人の熱持たぬ無人機飛来せり窓なき機体グローバルホーク 三沢・宮崎とも子
この町の中心占める通信基地は地下に潜りて人影見えず 所沢 水谷 和枝
軍民共用化を唱へたる知事去りて軍軍共用化へシフトせり 横田 中地 俊夫
沖縄に隠れ横田のオスプレイ離着陸、降下訓練粛々と増ゆ 横田 小石 雅夫
遠望する沖に空母の巨艦見ゆどんよりとした靄につつまれ 横須賀 前田 芳子
水兵の列みがきゆく潜水艦 座頭鯨を愛づるがごとく 呉 柚木 曜介
売物はアーミーグッズと基地望む展望台なり道の駅かでな うるま 伊波  瞳
米基地にせり出す佐喜真美術館「沖縄戦の図」を展げおり 宜野湾 名嘉真恵美子
辺野古訴訟酷く終はりて瑠璃の海に投入さるる巨大ブロック 那覇 湧稲國 操

それからこれも歌誌「歌壇」9月号の「インタビュー橋本喜典さんに聞く③ 聞き手栁宣弘」を読んでいて心にとまった個所について書きとめておきたい。
 〈この国の明日思ふとき抑へがたき焦りのごときものうごくなり〉、今、まさにこの〈抑へがたき焦り〉ですね。
橋本 もう、夜、布団に入ってからも心配でしようがないんですよ、この国の明日が。どうにもならないことだけれど、そういう気持ちがぬけないですね。言葉に携わっている以上は、最終的にはこの思いをどう表わそうかというところに行くけれども……。どこか焦りがありますね。(後略)」
九十歳というご高齢の橋本喜典さんの思い「この国の明日が心配でしようがない」吐露にはこころをつよく打たれてしまう。橋本さんは「憲法九条を守る歌人の会」の立ち上げの最初からの呼びかけ人のお一人である。
橋本喜典さんといえばやはりふれておきたいことがある。この稿の対照期間よりは少し外れてしまうのだが、昨年の「短歌」1月号に載った「寸鉄帯びず」の数首を紹介する。

原子力空母艦上に笑みうかべ答礼をする首相を唾棄す
居並べる嘴太鴉のオスプレイに乗り込みて笑む首相を唾棄す
己が国の首相を唾棄すと歌に詠みて救ひようなき思ひにゐるも

ここには一、二首のようなことに血道をあげ国民をかえりみることをしない自国のリーダーである首相への心底よりの絶望感を苛酷なほどに痛切に詠っていて圧倒される。

翁長氏の訴ふることのつづまりは沖縄県民の人権ならむ
権力を衛れる盾に対峙して人権を護るは寸鉄帯びず

この二首も沖縄のいま置かれている非道な
情態を端的に見事に深く強くとらえており、
かつまた毅然たる人間としての姿勢をもとら
えきっている歌になっている。

この国の行方に戦なきことを念じつつ生(よ)を終らむか

この一首は、先ほどのインタビューに引いたところにもつながる思いとして完結していくものである。

さて最後になって少し気になっていることに言及をしなければならない。実はこのことはすでに渡辺幸一さんが本誌に連載をはじめた第一回目に取り上げたことである。
短歌紙「うた新聞」の5月号一面に掲載された「今月の巻頭作家」中根誠氏の十五首作品「勅語教育」についてである。指摘された作品をここに再度提示する。

端正なる論語素読の響きにて教育勅語残る日本
園児らの声を通せば清々と教育勅語胸に迫るも
凛々しくも子らの唱へし教育勅語遅れてわれはぼそぼそと読む
教育勅語引き寄せながら憲法の改正なるか静もる桜
教育勅語唱ふる子らの声は澄みかく確かなる勅語教育

これらの歌には渡辺氏の指摘とも別に疑念を感じていた。読み違いをしないように何度か慎重に精読し、何人かにも読んでもらったがやはり教育勅語を称揚したものとしか読解できないという。仮にも逆説的にもブラック表現としても読みとれない作品である。
さらに後半にもう一首つぎの作品がある。

自衛隊に戦死者あれと密かにも希ふ人らをいなす「撤収」

この歌にも疑念をもつ。
自衛隊のスーダン海外派兵に批判反対する人たちがその口実を強めるため密かに自衛隊員の戦死を希んでいたのに政府が「撤収」させたので肩透かしを食わされた、と揶揄をしている歌である。
ともあれこれらの作品・表現に何ら疑問の声も上がらず無風状態で終わっていく歌壇にも、言論表現の自由への認識、感覚の点でのいま少し深化をと思う。



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