新日本歌人

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「夏のセミナー」にのぞんで

常任幹事会代表 小石 雅夫

五月一日の天皇の退・即位に伴い行なわれた新しい元号の変更を、四月二十八日深夜のテレビの出演者をあげた秒読み騒ぎなど、メディアの一連の取り上げは予想はしていたもののやはり度を越したものでした。それは新元号発表を同じくテレビで行なった菅官房長官、安倍首相ら政権の最大の政治ショーとして、いっそうバックアップをする結果になっていきました。しかしこうした現象は、一般のマスメディアだけではありません。
かえりみると、わたしたち短歌の領域にもこうしたことが深く起こってきているのです。
三月の「全国幹事会」の開会挨拶でもふれましたが、今年の年頭一月号の「短歌研究」誌上で「平成の大御歌と御歌」という、巻頭48ページもの大特集がおこなわれており、その最初の一ページ目に全ページ大の天皇皇后の写真が麗々しく掲載されて始められていました。
だが、こうしたことについては、その後の歌壇誌などを気を付けて見ていますが、ほとんど何の反応も疑念も出されている気配はありません。
あえていえばこの皇室の「歌会始」には、現在歌壇の著名・有力歌人の少なくない人たちが関与・連座しているからなのであろうと思われます。
だが振り返ってみると、こうした現象が顕著なのは、俳句や詩や小説など文学関連の分野のなかでは短歌がことに突出しているように思われます。
ふと、かつて短歌にたいして「奴隷の韻律」と非難されたことを想起してしまうほどです。
いま、憲法を「壊変」しようとする勢力が蠢動を逞しくしているとき、わたしたちの短歌が少しでもそれに与することがない、批判批評を仕切れる協会の活動力を、いっそう共有の意思としていきたいと思うことしきりです。
そうした中でおこなわれた七月の参院選挙では、自・公・維、の改憲勢力を改憲発議に必要な三分の二を割らせることができました。しかし、現憲法を支持し、擁護する人たちが自覚的に増えつつあるとはいえ、厳しくみればこれはかろうじてともいえるのではないでしょうか。
選挙後には、これもかろうじて改憲勢力の議席の過半数を獲得したことを口実に、安倍首相は、「少なくとも『改憲論議』は行なうべきである」と強弁をしています。
これは、結局、改憲路線へ引き込む、狡猾・執拗な謀略的な俗論であることはもとよりです。
こうした言葉によるまやかしを打ち破り、その本質を見抜き撃つ、現実的で民主的な立場に立った言葉を磨き、的確な表現力を考え、鍛え合う場として、今年のセミナーを開催したいと思います。

夏のセミナーの全体課題は「短歌で何を考え、表現するか─現実を見据え、真向かう─」としました。
これはこれまでもいろんな角度から、くりかえし問われてきたことでもあり、議論もされてきたことです。
しかし、昨今のわたしたちを取り囲むあらゆる情況のなかにあって、今日ほど複層した時代のさまざまな分岐点に立っている難しさにも直面しています。
それは、それぞれの日常の暮らしや、高齢化のすすむ社会のなかでの、仕組みと有り様とのかかわりという現実にあって、生身のわたしたちはどう在り、在るのか、どういう状態に置かれているのだろうか。また、そうしたなかで、自他との人間的な関係性とはどうあるのか。
また、これらの根源にかかわる、人間としての生老病死と、それにともない切り離せない喜怒哀楽という、各感情の発現の、さまざまな態様は、など。
さらに、こうしたすべてに、いまや、大きく影響をもって関与し、被さってくる、無視・無関心ではいられない政治の実態・実相の、展開や帰趨はどうなっているのか。
そうした、現実をどう見据え、どう真向かい、どう表現をしていくのかを考え、深めていきたいと思っています。
その手がかりとして、セミナーではこれらの基本問題への基調報告を数人からしてもらうように考えています。
報告の一つは、「日常の暮らしの中で詠う短歌」です。
内容は報告に譲りますが、この課題には今日的な家族、生計、健康を始め、幅広い内容が含まれていると思います。
二つは、「高齢化する社会の中で詠う短歌」です。
これは三月の全国幹事会でも、別に高齢者の短歌の実情の報告がありましたが、杉並支部横井さんの会場発言が、六月号の「全幹報告」にも掲載されています。高齢者の短歌の示す一つの参考になると思います。
三つは、「憲法と民主主義の危機を詠う短歌」です。
これは今日を生きることと、未来への展望、希望にかかわり、かつ世界にも広がっていく内容をもっていくものです。
ただ、これらを個々に「日常の暮らし」、「高齢化」「憲法と民主主義」と別々に分かれたこととしてではなく、総体として捉え、考えていくことが重要であることは当然です。
そうして、こうした機会に、それぞれの歌会などでの具体的な経験や議論に出たこと、疑問・懸案なども大いに交流し合うことも行なってほしいと思います。
また、ついさきごろ七月に編纂刊行したばかりの合同歌集『明日へつなぐ』があります。
この中には、右にかかわる歌が三一六名三一六〇首も収録掲載されており、至近な格好の題材・テキストとしても取りあげられると思います。
ぜひ、この一冊は読んでおいて、注目した歌の抜き書きをしておき、参加されるといっそう有益と思います。
また、開催地となる小豆島は、「二十四の瞳」の作家壺井栄と詩人壺井繁治や、プロレタリア作家黒島伝二を生んだ土地です。島の風光とともに、民主的な文学の土壌をも考えてみるひとときを、「壺井栄文学館」見学で、実感してみることも予定に入れてあります。
さらにいえば、小豆島とおなじ香川県は、われわれの先輩の一人である、歌人山埜草平(今月の表紙の歌)の出身地でもあります。こうしたことどもをおもいつつ、民主的短歌について考え、学び合いたいと考えています。
また別に、俳人尾崎放哉の終焉の家なども残っています。

さてしかし、いまわれわれの身辺を身回してみると、本当に民主主義や、民主的な文化や文化活動が保障されていると言えるでしょうか。
昨年の協会誌新日本歌人十月号で、掲載紹介した二〇一四年六月にさいたま市の公民館でおこった「九条俳句」不掲載をめぐる問題の発生と事態の経過があります。
これはその後四年も経て、ようやく昨年十二月に、最高裁で不掲載違法の決定となりました。その結果、
梅雨空に九条守れの女性デモ
という俳句サークル会員の句の掲載実現となりました。
しかし、この俳句作品一句の掲載拒否の不当性を確定することにさえ、これだけの時日を要したのです。
これは単なる一地方公民館でおこったハプニング的な事態だとは言えないものです。
各地、各施設でおこっている映画上映、写真展の企画の中止、学校講演会講師への政府関係者の干渉等々が、つぎつぎにおこり、増えつつあります。
ところがまたここで、直近の「表現の自由」にかかわる事態がおこってしまいました。
すでに新聞報道でも明らかな八月一日に開幕された愛知・国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」のなかの企画展の一つである「表現の不自由展・その後」が、開幕三日限りで行政側から一方的に中止を通告されたのです。
この企画の内容は、これまで日本の公立美術館などで展示を拒否されたり、一度展示されたものの撤去された作品を、その経過とともに展示したものでした。
その中には、「従軍慰安婦」を象徴する「平和の少女像や、昭和天皇をモチーフとした作品などがあり、右の公民館便りに掲載拒否された「九条俳句」も含まれているものでした。
企画発表後から、さまざまな脅迫があったといいますが、直接には芸術祭実行委員長代行である河村たかし名古屋市長が、二日になって、少女像を「日本の国民の心を踏みにじるもの。即刻中止を申し入れる」愛知トリエンナーレに「多額の税金が使われている」のに「行政の立場を超えた展示が行なわれている」として、中止をふくめた適切な対応を県知事につよく抗議し、求めたことです。
さらに政府も菅義偉官房長官がこれに軌を一にして、今後の交付金の決定に、「事実関係を確認、精査して適切に対応したい」という圧力的な発言をおこないました。
これを受け大村知事が、「展示の中身に行政が介入したら、芸術祭というものは成り立たなくなる」としながらも、河村市長、菅官房長官らの言行にさらに勢いづく右翼的脅迫におされて中止通告となったものです。
この事態に、「表現の自由とは、見せたくない側、国や権力とのたたかいです。憲法を変えようとするような政治状況のなかで、真実を表現しようとする作家・団体として結束してたたかっていかなければと思います。」「芸術・文化への公的助成は『金は出すが口は出さない』が原則です。」と、鯨井洪氏(日本美術会前代表)がコメントを出しています。
また、日本ペンクラブはただちに声明を出し、そのなかで「……河村たかし名古屋市長が展示の『即事中止』を求め、菅義偉官房長官らが同展への補助金交付差し止めを示唆したことなどは『政治的圧力そのもの』であり」「憲法21条が禁じる『検閲』にもつながる」と指摘しています。
こうした一連の逆流現象をともなって、政治的にも、消費税増税、年金問題、沖縄基地、原発、アメリカいいなり軍備増強、日米軍事体制強化、そして、憲法九条改悪がつづいており、政治手法では、改ざん、虚偽、忖度、言い替え、すり替えに終始する究極的なモラルハザードの累累です。
この八月六日の広島市「平和祈念式典」で松井一実市長が行なった「平和宣言」で、被爆時は五歳だったという女性が詠んだという短歌が披露されています。
おかっぱの頭から流るる血しぶきに 妹抱きて母は阿修羅に
短歌はこのように、いろんな人,いろんなこと、いろんな場で、多くの人に人間のさまざまを伝え、とどけます。
わたしたちは、短歌という小詩形を楽しみ、愛することを本来としているものですが、そこにはしっかりとした一つの
立ち位置を共有しています。
「平和と進歩、民主主義をめざす共同の立場から、広範な人びとの生活・感情・思想を短歌を通じて豊かに表現し、将来に発展させることを目指し」ています。
この自覚をもって、時代と暮らしを見据え、自由に豊かに
詠うことをもとめていきたいと思っています。
今回の「夏のセミナー」が、そうしたおもいの交流を通して、少しでも得ることがあるようにと願っています。



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