新日本歌人

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新短歌入門 1

 =よりよい歌づくりのために=

「生きること 歌うこと」

津田 道明

昨夏の全国総会で議論された、新しい会員への創作支援について、常任幹事会はその一つとして、「新・短歌入門」の連載に取り組みます。多くの会員が参加し、意見を出し合い、協同の〈入門講座〉を作り上げましょう。

(1) いのちの一秒、刹那の愛惜

石川啄木は、『一握の砂』の原稿を書店に渡した後、最初に書き上げた原稿は若山牧水の『創作』に発表した「一利己主義者と友人との対話」です。「…一生に二度とは帰ってこないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃してやりたくない。それを現すには…歌が一番便利なのだ」(明治四十三年十一月)。さらに翌月、朝日新聞に、「忙しい生活の間にこころに浮かんでは消えてゆく刹那刹那の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌というものは滅びない…」と書きます(十二月「歌のいろいろ」)。まるで自身の短い生涯と、逆に歌い継がれている作品の生命力を示しているようです。
「入門講座」で、まず強調したい第一のポイントは、作歌にあたって、めいめいが、自分のこころの中の浮かんでは消える心の起伏をしっかり見つめる、ということです。
あなたの得た感覚、思い、感情は、あなた自身のもので、他の誰のものでもない。あなたにしか歌えないものです。
翻って、日々の私たちの生活の現場では、高齢者の切実な暮らしの問題から乳幼児、児童の虐待の問題まで、さまざまな現代のあたらしい貧困といのちの深刻な問題状況が浮き彫りになっています。

(2) 老いの感慨─西行と岩田正の場合─

そのなかで、まず、高齢化率が、やがて40%になろうかという「老いの問題」に注目しましょう。
老いと死を切実に詠った西行の歌が『山家集』にあります。

死出の山 越ゆる絶え間はあらじかし なくなる人の数つづきつつ
年たけてまた越ゆべしと思ひしやいのちなりけり小夜の中山

西行は源(木曽)義仲の入京と混乱、平氏一門の敗走という時代状況をリアルに見つめています。そのなか、東大寺の重源の依頼を受け、奥州藤原秀衡に大仏再建の勧進のため、六十九歳という当時としてはかなり高齢での、しかも源頼朝と藤原氏との緊張関係のもとでの旅に出ます。時に一一八六年。「いのちなりけり」は西行の実感そのものでしょう。
次に古典の世界から、現代の短歌に視点を移します。

おさらひのつもりで妻にさよならと言へばにはかに悲しみ溢る

二〇一七年十一月、九十三歳で亡くなった岩田正の最終歌集『柿生坂』から引きました。自分の方が先に逝く、そんなことを作者は感じていたのでしょう。その時になって慌てふためくことのないように、〝さよなら〟ということを考えてみた。しかし、実際に口にした途端、悲しみがこみあげて、あふれてきたと歌っています。
この歌には自分自身の生き方へのふり返りがあります。
岩田には「ひとだれもさよならだけの人生かさよなら言はぬがわれの身上」という歌があって(『郷心譜』)、「人生別離足る」という原詩のように、人との関りにこだわってきた。
しかし最終歌集にあっては、そうした緊張がやや解けてきて実感の色彩が濃くなりますが、『郷心譜』には妻(馬場あき子)を歌った印象深い歌もあります。

イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年

(3) 深いことをやさしく

短歌にとって、〝何をうたうか〟はまず第一義的な問題ですが、同時にそれは、いかにうたうか、ということと密接に結びついています。その点を、「老い」の問題に関わって考えてみましょう。
西行を慕い、後を追い続けた一人に芭蕉がいます。
芭蕉は死の前年、元禄三年(一六九三年)には甥の桃印が三十三歳で死に、翌年六月には、芭蕉の最も近くにいた一人、寿貞(尼)が深川芭蕉庵でなくなります。そして旅の最後、元禄四年九月に奈良を経て大阪に入りますが、九月の終わりから、深刻な下痢状態が続きます。

この道や行く人なしに秋の暮
この秋は何で年よる雲に鳥
旅に病んで夢は枯野をかける

前二首は九月二十六日の句。山本健吉はこの第二句を芭蕉の絶唱としています。最後の句には「病中吟」という付記があり、いわゆる辞世の句ではありません。
芭蕉のたどり着いた境地は〝かるみ〟と呼ばれていますが、この境地に最も近いものを考えると、「高くこころをさとりて俗に帰るべし」という一節に辿りつきます(『三冊子』)。
句の表現はあくまで平易。「何で」、「病んで」と、つい、口にしてしまうような表現には切なさがこもっている。
消えていく者、さまよう者。そして誰の姿も見えない道。芭蕉の心的世界はまことに孤独という事につきる。芭蕉は五一歳で亡くなっていますが、死の直前にあって、その孤独の道をなお進もうとする姿勢の高さ、深さを実にわかりやすい言葉によって表現する態度に驚きを禁じ得ません。

(4) 短歌の形式要件─五句三十一音─

短歌が持つ、最大にして最小の形式要件は、短歌が五句三十一音からなる文学形式である、ということです。
5・7・5・7・7という組み合わせ自体が歌のリズムを作り出すので、コトバの海から自分の思いに最適な五音、七音を掬い取るのですが、この力を最短最速に養う方法は、いわゆる名歌に学ぶことです。もちろん百人一首など、馴染み深い古典に親しむことも大事ですが、とくに近・現代短歌のさまざまな表現方法から大いに学ぶことが大切です。

函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花

啄木のこの一首は五句を三行書きにして、リズムをさらに強調しています。また五句のうち、二句を地名に充て、三十一音のなかで用言(形容詞)は一つだけ。あとは全部名詞を助詞、助動詞が繋いでいる。また五句それぞれの最初と最後の文字の母音はa-o、a-o、a-e、o-a、a-aとなっていて、「かなしい」けれども、開放的な、からっとした雰囲気がある。じつに大胆な一首です。
逆に、先の岩田正のほか、窪田空穂、土屋文明など長命の歌人の晩年の滋味深い歌も味わうべきものです。

はらはらと黄の冬ばらの崩れ去るかりそめならぬことの如くに

窪田空穂(『老槻の下』)

今朝の足は昨日の足にあらざるか立ちて一二歩すなわち転ぶ

土屋文明(『青南後集以後』)

空穂八十三歳、 文明九十九歳の時の歌です。
岩波新書の『老いの短歌』(小高賢)が出た二〇一一年前後から、短歌雑誌などで高齢者の短歌の特集が組まれるようになってきましたが、この土台には、地域における取り組みがあります。その一つ、宮崎から始まった「ふれあい短歌大会」の優秀賞作品から、「黄昏」の歌。( )は応募者の年齢。

人去るに残るブランコ揺れやまず夕焼空の美しきかな

2008年 津田ヱイ (105)

この世にてあの世を思う夕まぐれほわんほわんと合歓の花咲く

森 晴子 (90)

銀色に街はたそがれ帰るべき私のはどこにも見えぬ

2017年 藤本アサ子(100)

一首目は2音の言葉が多く、ブランコの揺曳感と重なっています。二首目は比喩の表現でオノマトペ(この場合は擬態語)による比喩が、三首目は上句と下句が対比的な構成となっていて印象を強めています。五句三十一音の世界は、(1)の啄木の言うとおり、さまざまな可能性を秘めています。

(5) 素材の広がりー社会的問題をどのように歌うかー

以上の作品は、作者自身の直接的体験にもとづく短歌世界ですが、一方私たち個人の生活環境は、これまでのどの時代よりも社会や時代と結びついてきていて、歌の素材もまた、直接的な体験を越えて、遥かに広がったものとなっています。
国内の乳幼児の虐待の深刻な問題が問われる一方、ユニセフによれば世界の深刻な児童労働は一億数千万人とも言われ、時にはリアルタイムで現場の映像が届く時代です。そうした〝間接体験〟も含めて、私たちは応答せざるを得なくなってきています。
こうした時代環境の中での歌づくりの意味が広く問われたのは〈3・11〉でした。溢れるばかりの〈情報〉のなかで、どのように真実を歌いあげるか。
この問題は、沖縄の問題、平和の問題、憲法問題とも通底します。こうした問題を直接的体験ではない方法で、私たちはどのように歌っていくことができるか。
この手掛かりと考えられるのが、昨年から、広く社会的に注目された、非正規雇用の青年の生と死を問うものとなった『滑走路』─萩原慎一郎─をどう読むか、という問題です。

夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

こうした声に応えられるのは非正規の人だけだろうか。
いや、正規で働いている人、退職した人、学生、主婦などさまざまな人がこの歌に反応し、短歌とは縁遠い人の間でも読まれたように、作品を挟んで作者と読者が向き合って、作品世界が共有されました。
このことは、現代社会のさまざまな問題に対して、ただ一方的に自分の思いや感情を吐露するのではなく、読み手との共感をどのように形成し、深めるか、という視点を持って作品創造に向かうことが大切だということを教えています。

「新・短歌入門」を自他の〈対話〉を根底にした学びの創造の場として作っていきましょう。



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