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沖縄現地レポート

沖縄でいま、起こっていること

 

琉球新報 島 洋子

はじめに

政府が米軍普天間飛行場の移設先として工事を進める沖縄県名護市辺野古の海。政府は今夏にも土砂を投入し、埋め立てを本格化しようとしています。
沖縄で辺野古新基地建設への反対の声は根強いものがあります。しかし2018年1月の名護市長選では、新基地に反対してきた現職を、政府与党の推す新人が破りました。安倍政権は市長選に国会議員のべ170人を投入し、国政選挙以上の態勢を敷きました。そして勝利を盾に「民意は新基地建設を認めた」と喧伝しています。
18年秋には県知事選が行われます。今年が「普天間問題」の岐路になるのは間違いありません。しかし、工事が進むにつれはっきりしてきたのは、新基地建設を拒む声が弱まらないことです。
日本の国土面積の0・6%しかない島に、日本にある米軍専用施設の70%が集中する沖縄。この小さな島で、市民は、暴力性を帯びた軍隊とあまりに近くに暮らさざるを得ません。このことは特に女性たちに大きな被害を与えてきました。米軍関係者による事件事故によって県民への人権侵害が続き、憲法が保障する「基本的人権」は軽んじられています。

女性の被害

沖縄の基地負担を象徴する事件が2016年に3件起き、その波紋は2018年の今も続いています。米軍基地の過重な負担を象徴するだけでなく、沖縄には日本国憲法の理念が生きているのかを問うています。
一つは16年4月に起きた「米軍属女性暴行殺人事件」です。20歳の女性が殺害され、遺体は山中に遺棄されました。犯人は元海兵隊員で、米軍嘉手納基地で働く軍属の男でした。男は強姦目的で女性を物色し、コンビニで偶然見掛けた女性の後をつけ、棒で殴って草むらに連れ込み刺殺しました。
事件は多くの人に1995年に起きた少女乱暴事件を想起させました。今日の「普天間問題」の起点となった95年の事件は、小学生の女の子が米兵3人に強姦されるという痛ましいものでした。犯人の3米兵は基地内に逃げ込み、沖縄県警は起訴するまで犯人の身柄を取ることはできませんでした。日米地位協定のためです。
米兵による過去の凶悪事件では、地位協定によって被疑者の身柄が拘束できない間に基地内を自由に移動し、口裏合わせをしたり、そのまま軍用機で本国に逃げ帰ったりした容疑者もいました。
95年の事件以降、沖縄では不平等な地位協定の改定を求めています。しかし地位協定は1行1句も変わっていません。
米兵らによる女性への性加害が明らかになるのは氷山の一角です。16年4月の事件の数ヶ月前、観光客の女性が米兵にレイプされました。女性が被害を届け出ると、ネット上では被害者の落ち度を問う書き込みが相次ぎました。こうしたセカンド・レイプを恐れて女性たちは沈黙してしまい、被害を生む構造が繰り返されてきたのです。

反対運動への圧力

二つ目は基地反対運動のリーダーの逮捕と長期勾留です。16年8月、米軍北部訓練場の新ヘリパッド建設現場で、辺野古新基地建設に反対する人たちのリーダーである山城博治さんが逮捕されました。建設現場に張り巡らした有刺鉄線を2本切ったという微罪でしたが5カ月も勾留しました。
日本の人権問題を調査した国連のデービッド・ケイ特別報告者は18年の報告書で「容疑に比べ長期拘束は不適切だ。沖縄での抗議活動への圧力を懸念する」と指摘し、日本政府に改善を求めました。国際社会からも山城氏の逮捕、勾留は人権保護に反しているとされています。

脅かされる命

三つ目は事故の多発です。16年12月、米海兵隊の最新輸送機MV22オスプレイが名護市安部の浅瀬に墜落しました。
オスプレイは開発段階から事故が多く、米国では「未亡人製造機」という不名誉なあだ名の軍用機です。日米両政府は12年、沖縄の反対を押し切り24機を米軍普天間飛行場に配備しました。
墜落事故は民家から800メートルしか離れていない海辺でした。米軍は民間地であるにもかかわらず、日米地位協定を理由に事故現場に規制線を張り、日本側は誰一人立ち入らせませんでした。
17年12月には普天間基地のCH53大型輸送ヘリの窓が近くの小学校運動場に落下しました。子どもたちが体育の授業中で間一髪でした。その前月には米軍機が市内の保育園に部品を落とす事故も発生しています。子どもたちの命に関わる事故が立て続けに起きているにもかかわらず、米軍機はこれまでと同じく住宅地の上を飛び続けています。しかし日本政府は米国からオスプレイを購入し、全国に配備する予定です。

憲法は適用されているか

ほとんどの日本人は「日本国憲法」がこの国の最高法規であり、国民が主権者だと思っています。しかし沖縄では、憲法の上に「日米地位協定」があり、県民よりも米軍に主権があるとしか思えない現実があります。
1945年に第2次世界大戦が終結した後も、米軍は沖縄にそのまま駐留し沖縄本島全域に巨大な米軍基地を構築した。家も墓もなぎ倒し、抵抗する人を銃で脅して土地を奪った様を、沖縄の人は「銃剣とブルドーザー」と呼びました。
52年、サンフランシスコ講和条約(対日平和条約)で、日本の施政権から切り離された沖縄に日本国憲法は適用されませんでした。基地のためなら沖縄の人々の人権や財産権は無視されました。
米軍の施政権下で日本の法律が適用されず、基本的人権も守られなかった沖縄で、人々は日本復帰運動に取り組みました。復帰運動のスローガンの一つは「平和憲法の下に帰りたい」でありました。
沖縄の人たちがあれだけ憧れた日本国憲法が、9条が今、変えられようとしています。そもそも基地の過重負担と、不平等な地位協定にあえぐ沖縄には、いまだ平和憲法は適用されていません。憲法を変えるのではなくて、憲法を日本の隅々まで適用させることが先ではないでしょうか。



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