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♦リレー随想♦ 憲法とわたし

〝九条おじさん〟のことなど

まひる野 横山 三樹

  「殺すなかれ殺さしむ勿れ」の声に和す寂聴が居る国会前に

この歌は私の歌集『九階の空』の「安保関連法の成立」八首の中にある。この瀬戸内寂聴さんの「日めくり」5月3日憲法記念日には次の文が掲げられていた。「若者達に、もっと政治に興味を持ってもらいたいです。投票に行かないと自分が損をするとわかれば、政治に無関心ではいられなくなると思います」とあり、そのためにはまず「日本国憲法を勉強することと考え、私は書棚から『日本国憲法』を二冊を曳きだしたので紹介する。
一冊は『写楽ブックス─日本国憲法』(小学館)という四六判の上段に総ルビの憲法全文、下段に用語解説、そして二頁見開きごとに美しいカラー写真が展開する。もう一冊は文庫判の『日本国憲法・伊藤真監修』(角川春樹事務所)。前書同様上段に憲法全文、下段に前書よりやや詳しい解説がある。そして「おわりに」に〝明治憲法から日本国憲法へ〟以下七篇の著者の評論があり、「はじめに」の三篇と合わせて一〇篇の著者の憲法に対する考え方を述べている。基本的考え方は、日本国憲法改正草案(自民党)に危惧というか反対の立場に立っていることである。
私の歌の仲間には「九条を守る会」の人が何人もいる。その一人地元小金井で活躍のK・Mさんに話したら早速貴重な資料を送ってくれた。その一つに蓑輪喜作著『〝九条おじさん〟がゆく──署名は愛だ』という一冊がある。その帯文には「集めた署名は3万5千! ひょうひょうと自然体の人気者」とある。この本の「はじめに」に「二〇〇五年暮れから憲法九条を守る署名を集め始め、いつしか四年六ヵ月の歳月が経った。諸病もかかえ八一歳にもなっているので大変でなかったといえば嘘だが、いまでは署名に出ることが生きがいであり、健康法にもなっている。」と書きだし「六月八日現在三万四一三〇……いつしかこの署名を続けてゆくことが、私にとって人生最後の仕事となったようだ……」と綴っている。
蓑輪さんは、新潟の松代町(現十日町市)生まれ、戦後地元の国民学校の用務員を四四年間勤め上げ一九九五年息子の住む小金井に移った、という。心に火が付いたのは、やはり自民党が自衛軍の保持を明記した「新憲法草案」を公表した時からだという。そして自宅近くのバス停や公園で道行く人に声をかけ、九条を守る署名活動を始めたのである。
『〝九条おじさん〟がゆく』にはもう一つ大事な話がある。〝第4章 折々に詠んだ歌〟六三首が掲げてあり、第一章~三章までの自伝的文章の中にも六〇余首がちりばめてある。簑輪さんは歴とした歌人なのである。奥付の著者紹介をみて新日本歌人協会に所属と知り己が不明を恥じた。ここに作品を並べる余裕はないが、気にかかる一首がある。
わがうちに癌を住まわせ今日もまた署名に歩く人より強そうに

 本書の跋文ともいうべき高田健氏の一文が最後に添えられている。──草の根にはこんなにもすばらしい人がいる──「九条おじさん」の署名活動を見守りながら──
高田さんが蓑輪さんと交流するきっかけは二〇〇七年八月一四日の朝日新聞夕刊に「公園で守る九条」「戦中派七八歳、署名集めを歌集に」「若者たち関心高い」という大きな記事にひかれ、蓑輪さんと約束してお会いした日の記録にはじまり、見事な蓑輪論というべきものである。
私もこの本に叱咤激励される思いで、会いたいと思ったが、氏は四年前に亡くなられた由。巳んぬるかなである。ご冥福を祈ります。



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