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〈コロナ禍のなかで〉

二つの課題に挑戦し会員・購読者一〇二名を増やす

─危機に立ち向かう大阪府連の取り組み─

中山惟行

はじめに

新型コロナウイルスの蔓延という事態の進行は全世界に拡がり、政治的、社会的、経済的危機を加速させ、人々の命と暮らしを脅かしていまもその収束は見えない。

この深刻な事態に、わたし達もまたあらゆる社会的活動を制限され、自粛せざるを得ないということになった。厳しい現実を前にして、わたし達の命と暮らしを守りつつ、新日本歌人協会の抱える困難と危機をいかに打開するかという問題意識を強くし、その具体として大阪府連は、五月三日付で「新日本歌人協会・大阪府連に結集するすべてのみなさんに訴えます」の緊急の「訴え」を出した。

「訴え」は多くの会員に共感をもって受け入れられ、これまで経験をしたことのない取り組みとなり、一カ月で会員一六名、購読者八〇名の新しい仲間を増やし、その後も仲間増やしの取り組みはつづき、七月十日現在、会員一八名、購読者八四名あわせて一〇二名の新しい仲間を迎えるという成果を生み出した。

もう一つの課題である「今日の危機を詠う」への作品応募には、一四三名が出詠、七月一日には合同歌集『この国はいま』を刊行した。

さらに、この二つの課題を取り組む中で、新日本歌人協会及び大阪府連への強化カンパの訴えに、七月十日現在、九〇万円を超す多額なカンパが寄せられた。

コロナ禍の厳しい条件下で、集まって会議を開くこともできない中、このような取り組みを成功させ、大きな飛躍を生み出したものは何か、このことを深く検討し分析することは今後の運動の前進のためにも極めて重要である。

大阪府連は七月三日、久し振りに運営委員会を開き、「訴え」にもとづく活動について感想を語り合った。短時間であったため深い議論は今後の課題である。

編集部より依頼されこの稿を書くことになったが、この一文は「訴え」の呼びかけ人の一人としての私のまとめであることを最初に記しておきたいと思う。

コロナ危機は同時に協会の危機

二〇二〇年一月より、新型コロナの感染拡大がはじまり、人々は不安と怖れを募らせていった。大阪府連の各支部も、三月、四月、五月と歌会を中止し、二月の府連総会も延期となり、四月の関西近県集会も中止となった。コロナ感染の収束の見えない状況では、諸活動の中止も仕方のないことであったが、自粛が萎縮となる危うさもあった。

新日本歌人協会も、協会誌の発行が危ぶまれる状況との情報も入ってきていた。

協会の組織現勢も、二〇一〇年八月の第四十九回総会(大阪)で、一千名の協会を達成したが、その後一進一退があり、二〇二〇年四月現在、会員・購読者の総数で八八三人までに後退と発表されていた。

コロナ危機の進行は、同時に新日本歌人協会の危機でもある、という思いは強く意識されるようになった。この事態に、いま何が出来るかを考える中、一つの思いが定まっていった。協会の危機を打開するために、厳しい条件のもとで苦しみつつ頑張っている常任幹事会、編集部のみなさんを励ますためにも大阪府連として行動を起こそうと考えた。

四月二十八日の夜八時、二月の府連総会で代表に選出されることが決まっていた高橋光弘さんに私の思いを電話で伝えた。危機を打開するために、

①「今日の危機を詠う」をテーマに作品を募り歌集にして広く普及する

②創立七十四周年、厳しい状況にある新日本歌人協会を維持・発展させるために、会員と購読者を大きく増やすこと。

そのためにすべての支部のみなさんへの協力をお願いする「訴え」を出し、取り組みを組織すること。以上のような私の思いを伝えると高橋さんは、同じ思いを抱いていて、「よしやろう!」と一致し、その日のうちに大阪在住の全国幹事のみなさんに手分けして電話をした。それぞれの大阪選出の全幹のみなさんも「異議なし」と応えてくれ、早速「訴え」を私が作ることになった。翌日に「訴え」は全幹のみなさんに承認され五月一日には印刷完了、直ちに七支部に発送、それを受けた各支部はすべての会員に手渡しと郵送で届けるというスピード感あふれる取り組みが始まった。

時宜にかなった府連の「訴え」

「訴え」が届き、それを読んだ人よりつぎつぎと共感の声とともに成果が伝えられてきた。「コロナ禍のもとで頑張っている協会を、府連として支えたい」という熱い思いのこもった『訴え』を受け、運営委員の四人が分担し、全員に届けた。作品二首の応募に全員が応じてくれ購読者一名も増やした。この厳しい状況が過ぎるのを、頭を下げて待つのではなく、力を合わせて立ち向かう、という取り組みに勇気をもらった」(あい川支部・Sさん)。「この『訴え』は素晴らしい、感動した。歌会の全員に届け協力を訴えた。会員と購読者五名を増すこともできた。新日本歌人があるから私たちは歌を作ることが出来る。自分のこれまでの活動を反省し、仲間を信頼して訴えていきたい」(高槻支部・Yさん)。

「新日本歌人協会の危機という訴えをしっかりと受け止めた。すぐに知人に訴え購読者になってもらった。私は八十九歳になるが、協会の危機を何んとしても克服するため、いまできることに力を注ぎたい」(高槻支部・Mさん)。

そのほかにも、「このような訴えを待っていた」「この危機を何んとか打開したい、と多くの人が思っていた。その思いに応える『訴え』であった。」などの多くの声と共に取り組みの成果がつぎつぎと報告されてきた。

人と人のつながりを切る、コロナ感染拡大という危機に果敢に挑戦をした大阪府連の取り組みは、多くの仲間の共感と納得を得て、大きな運動となりかつてない成果を生み出した。

「府連だより・臨時版」の発行

各支部からの取り組みの成果と経験が連日にわたって報告されてきた。この貴重な経験と成果を、直ちにすべての支部に返し、相互に学びあい、励まし合い、更なる前進につなげようと、「大阪府連だより・臨時版」を発行することを決め、第一号を五月七日に発行。

各支部からの日々の頑張りを、高橋光弘さんと中山が集約、それを京阪守口支部の松村誠一さんがパソコン入力、印刷をし、それを受けて中山が郵送するというシステムを作った。送り先は、協会の三役、大阪の七支部の支部長と事務局長、大阪選出の全国幹事、新婦人・短歌小組と数名の個人の計五十人ほどである。勿論、各支部全員には郵送、ファックスで届ける努力を支部ごとに取り組んだ。

このようにして、リアルな経験を知らせ、交流することで、互に励まされ取り組みは加速されていった。

「府連だより」は多くの仲間に待たれ、勇気と希望を与えた。ほぼ五日ごとに出され七号まで発行、いま八号の発行を検討中である。

「今日の危機を詠う」に一四三名が応募

「訴え」のもう一つの柱である「今日の危機を詠う」への参加者は一四三名にのぼった。その多くが、コロナ禍のもと、生活者のおもいを率直に表現されたものであった。

コロナ危機、政治の危機、生活の危機が広く深く及ぼしている時、多くの人々の何かを告げたいという思いに応えるものとなった。

入会や購読されなかった人も、合同歌集に作品を出してくれたことは嬉しいことであった。協会からも常任幹事会の全員が、府連の取り組みに連帯して作品二首を送って参加してくれたことも記しておきたい。

作品の締切りは五月末、歌集完成は六月三〇日で、これもまたスピード感あふれるものであった。木下印刷の木下一氏には、ずい分と無理を強いたが、快く協力していただいたことに感謝したい。

大変好評な合同歌集『この国はいま』の表紙と、歌集の中の写真を提供してくれたのは写真家の坂野博氏である。坂野氏はこの度の運動の中で入会された。

大阪の地方政治新聞「大阪民主新報」は、七月十二日付で大きくとり上げてくれた。その記事を見た他結社の歌人から「新日本歌人がこのような取り組みをしていることを、結社の仲間に知らせたい」と10冊の注文があった。大先輩の碓田のぼるさんから寄せられた便りは、大阪府連の仲間を励ますもので、大変うれしいものであった。碓田さんは「合同歌集への一四三名の投稿歌をかみしめるように読みながら、『今日の危機』が、作者のおかれた生活のすみずみから表現として研ぎ出されていて、感銘をうけました。府連の『訴え』は画期的なこととして深く心をゆすられましたが、その結実が立派だったことも見事であったと感じました」と結ばれた。

かつてない多額のカンパが寄せられる

二つの課題を「訴え」ての取り組みは大きく前進、その中でつぎつぎと多額のカンパが寄せられた。「訴え」を出して間もないときに、私も協会の厳しい事態が少しでも改善されるために力になりたい、と表明してくれたOさんにカンパを訴えた。Oさんは、「わかりました」と三〇万円もの多額なカンパを提供してくれた。Oさんのカンパの協力を「府連だより」で知らせると、それを見た人から、つぎつぎとカンパへの協力の申し出が寄せられた。二〇万円、一〇万円という多額のカンパを提供してくれる人、五万円、三万円、一万円、と自発的なカンパが寄せられてきた。カンパ額は、七月十日現在、二十七名のみなさんより総額九〇万円を超えるものとなった。

何故このような多額のカンパが集まったのか、大阪府連でもまだ話し合われてはいないが、その要因となったものを正しく分析することが大切と思う。

コロナ禍のもと、敢えて厳しい事態に立ち向かっての今回の取り組みに、多くの仲間が物心両面で支えようという自発的で、積極的な協力を寄せてくれたものであり、あらためて心よりお礼を申し上げたいと思う。

寄せられたカンパは、新日本歌人協会と大阪府連への強化カンパであり、従って適切に配分したことを記しておきたい。また、合同歌集『この国はいま』の出版費用にも活用させていただき、さらに府連事務所の維持費にも活用させてもらったことを報告しておきたい。

大阪府連の存在意義と役割

「新日本歌人協会・大阪府連絡会」の歴史を繙くと、一九九二年頃より、大阪の四つの支部(当時)が共同して取り組んでいた関西近県集会や、「平和のための大阪戦争展」などに「大阪府連絡会」を呼称した資料が残っている。但し、会則・規約もなく、共同の活動を進める時に使われていたものと考えられる。正式に「大阪府連絡会」としてスタートしたのは二〇〇〇年十一月で、総会を開き、会則を決め役員を選出している。翌年の十一月には、他の民主団体と共同の事務所をもつことになった。従って正式にスタートしてより今年は二十年となる。現在、七支部によって構成され、二年に一度総会を開き役員を選出している。

「大阪府連絡会」は協会の規約にもとづき設けられているものであり、ゆるやかな連絡組織である。従って執行機関でも、指導機関でもない。そのような性格を守り二〇年以上にわたって活動をしてきたが、共同の力を発揮して大きな役割を果してきた。

具体的には、 関西近県集会、啄木祭、大阪府連の勉強会、他の文学団体との共同の運動などであり、基本的には二カ月に一度の運営委員会を開き、支部活動などの交流も行っている。従って支部の力だけでは取り組めない活動と運動を、共同の力と知恵を結集して、その時々の活動にとりくみ成果をあげてきた。

今回の「訴え」にもとづく活動も「大阪府連」の団結と連繋が、大きな成果を生み出す原動力となったといえよう。

民主主義短歌運動の実践と今後の課題

コロナ禍のもと、このたびの大阪府連の取り組みは、創造活動と組織強化を一体のものとして意識的に進め、大きな成果を生み出した。「訴え」にもとづく二つの課題の達成は、まさに民主主義短歌運動の実践としての成果であったといえよう。

今日の情勢に、わたし達はいかに向き合い、何を為すべきか、という問題意識と共に、新日本歌人協会の果たすべき責任をどのように実践するかということが問われているといえよう。今回の取り組みで、これまで短歌を作ったこともない人が入会され、購読者になってくれた。そのことは、新しい可能性を広げてくれるものであり、新日本歌人協会の存在意義を高めていくことにつながる。今日の危機の中でも、時宜にかなう提起は共感と支持を受けることを証明したといえる。協会の総力を挙げて、全国の支部を大きくし、活性化することは可能であり、一千名の協会の復活を実現し更に大きな前進も可能である。

わたし達はいま、大きく増やした会員と購読者にどのようなコミュニケーションが必要か、例えば、今回発行した「府連だより・読者版」のようなものを定期的に会員と購読者に届けるという持続的な活動について検討をはじめた。全国の支部のみなさんと連帯し、「わが市わが町」に支部をつくり、新日本歌人協会をもっと大きく強くするために頑張りたいと思う。



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