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評論〈寄稿〉

伝統の創造力の問題

水野 昌雄

辻井喬の『伝統の創造力』(岩波新書)が出たのは二〇〇一年。「熱気を失った文学はなぜか」ということを伝統と結びつけて分析し、論じた一冊である。文化創造の仕事はその時代の政治経済の歪みをそのまま反映し、悪しき伝統は人間を歪めてゆく。こうした問題を具体的に短歌・俳句をはじめ、広く文学一般における共通課題として歴史的にたどっていて考えさせられることが多いものである。この一冊が出る二年前、すなわち一九九九年には「国歌・国旗法」が成立し、「労働者派遣法」が強行採決となり、人間のための労働ではなく、企業のための労働となる非正規労働の拡大へとむかっている。昭和史年表をみると、この年「不況・リストラによる中高年の自殺急増」とある。そうした状況のもとに「熱気を失った文学はなぜか」を冒頭にしたものなのだ。そして「詩のもつ位置と現在」という項目のもとに「短歌・俳句への批判と反批判」からはじめられているのは興味深いことであった。短歌の場合、すでに七十数年は経っている折口信夫の文章「歌の円寂する時」(「改造」大正十五年)をもとに論じているのである。これは当時の短歌否定論として近代短歌史上にもよく知られた古典的論究である。そのはじめのところで折口信夫は三つの問題をあげている。一つは歌の命数に限りがあること、二つには歌人が人間として大きく立派でないこと、三つ目には批評がないこと、である。命数の問題では折口の考える短歌の起源・その後の性愛の和歌の生まれた土壌が失なわれていることの命数論なのである。これは、短歌形式を狭くとらえ、歴史認識に問題があるもの。次の批評の問題は折口信夫の指摘は当っていて今日においても通じる問題でもある。それは「分解的な微に入り細に入り」した結果、「人間及び世界の次の『動き』を促す」ような批評が多いというのである。それは現代歌壇で「読み」ということをわざわざ設定したりして微に入り細に入りして時代の動きからそれてゆくのをみればうなずける。いつの時代もあるものか。次に人間の問題点としては「宗匠的姿勢」が多くみられることを批判している。しかしこれは短歌の技法を習得するために、人間的に直接かかわりを必要とするのは、折口も徹底していたのであってプラスとマイナスがあるということなのであろうか。それよりこの九つの項目に分かれた折口論究の終りのところでは口語歌の問題として「短歌の規準」をもとにして「自由に流れる拍子を把握するのが肝腎だ」として「短歌の行くべき道」を述べているのが注目されるところであろう。石原純の口語短歌や自分が「日光」誌上で試みた作品から「口語律が、真の生きた命の用ゐられる喜び」とも述べているのである。この点は辻井喬も認めており、折口信夫が「創造的な歌人であり、国文学者」であると論じているのだが、結局「歌の円寂する時」はどういうことになるのか。すでに大正末期に「熱気を失った短歌」ということをいうものとしてなのか、短歌の良き伝統の吟味が必要だというのか、大正デモクラシーや外来思想の影響、第一次世界大戦後の一時的経済の繁栄の問題と結びつけて論じてゆくのは説得力をもつが、「歌の円寂する時」についていえばもっと画企的な論文としての評価があって然るべきであろう。折口はこの時期の文章として「プロレタリア短歌へ」と題した美木行雄の歌集『抗争』評がある。(「短歌雑誌」昭和5年12月)国学院での学生であったという親近感ばかりでなく、広い理解力がうかがえるものである。
しかしこの『伝統の創造力』が戦後の短歌否定論、ならびにそれへの批判として登場した論文についての分析には、また問題がなしとはいえない。それは辻井の掲げる論文名の小田切秀雄「歌う条件」、窪川鶴次郎「短歌の歴史展望」、丸山静「短歌は民主的たり得るか」など、すべて当時の「人民短歌」に掲載されたものなのである。それらをひとまとめにして辻井は「感覚とは離れた思考の場で批評を構築している趣があって、好意を持つことはできても説得力は弱いように思われる」として終っているのである。この感想そのものは正直のところかなり同感できるのは、実作者の立場からすれば実際の「感覚から離れた思考」の面はうなずけるものだからだ。しかし、「人民短歌」のメンバーのひとり小名木綱夫がすぐに反応を示して、「歌の条件」に対して「実作者の覚書」と題した文章を寄せていることを合わせて読むべきなのである。(「人民短歌」昭21・8)ここでは小田切のいう「凡庸な十万の作者を作るより百人の本当の芸術家」という発想の誤りを批判し、作者イコール読者の庶民的文学形式の意義を訴えたのは短歌の本質をいうものだ。それは辻井短歌論の思考にも不足しているように思えるものである。丸山静の論文における茂吉の近代の屈折と、啄木の近代の克服を対比させた論も「新しき伝統」の課題となるものであるが、視野には入らなかったようで惜しまれる。その他辻井氏はしばしば小野十三郎の「奴隷の韻律」を取りあげ、短歌の韻律を深く愛するゆえに、古風なものへと収めて満足する短歌に厳しい批判をするのだと論じてゆくが、それはその通りである。しかし、小野十三郎についていうなら、「人民短歌」にも寄稿し、「新日本歌人」(昭25・9)に「弱い心」と題した短歌論を記しているのでもその主張は知られているものである。それは「短歌的リリシズムによる抵抗」を論じたものであり、詩というものが「民衆」の動きから孤立しては何の力もないことをいっているものである。「民衆」という観点は伝統の問題として根底にあるものといってよいのだ。
こうして『伝統の創造力』はさまざまな古典や、短歌否定論を論じて来て物質的には一応経済大国の趣きを示しつつ「文化芸術を衰弱」させている現実をそのまま提出している。「わが国の文化・芸術が伝統と切り離されていること」を記しその結果、「創造力が失われていること」を訴えるのが結びである。「新しい伝統観の構築の上に、創造力復活へ向けての態勢を整えることが、二十一世紀初頭に生きている私たちがなすべき仕事なのではないか」とこの一冊はしめくくる。「私たちがなすべき仕事」なのだ。短歌をいま創ってゆくひとびとはそうした自覚はあるのだろうかと問われているものである。
しかし、『伝統の創造力』の短歌の方向を示しているものは断片的ではあるにしてもすでに論じられている面もある。その伝統もふりかえってみる必要があるだろう。「人民短歌」(昭25・3)の「近代短歌史特集」は伝統をいかに受け継ぐかを近代短歌史から論じたもの。具体的に名称だけを記すなら、小田切秀雄「今後の短歌運動の問題」、丸山静「ひとつの根本的な点について」、本間唯一「和歌改良論について」、佐々木陽一郎「明星の短歌」、西村陽吉「短歌革命のゆくえ」などそれなりの視点である。さらにこれらの論についてひとりずつ批評を加えた赤木健介の七ページに及ぶ「短歌の昨日・今日・明日」と題した文章(「人民短歌」昭25・5)はまさに伝統の昨日をとりあげ今日・明日に向かって論じたものなのである。さらには、矢代東村が大正四年にはじめた口語行わけ・渡辺順三、佐々木妙二、赤木健介達口語行わけの当時の選者たちは、自己の文学的精神の立場と使命のためにも、新しい短歌の伝統を獲得するために努力したのである。それはモダニズムや芸術主義に堕することなく、短歌形式を生かしてゆこうとするリアリズムをめざしてであるだけに苦闘するものでもあった。
戦後短歌史でこうした問題にかかわることでつけ加えるなら斉藤正二が『戦後短歌』(社会思想社)の中で、戦後短歌史において「絶対に看過し得ない課題」として「アララギ」の文明選歌欄を挙げていることである。文明ではなく、選歌欄をいっているのは短歌の本質を庶民的性格とする伝統の問題とかかわるものである。これと同様の視点により、昭和三十年の歌壇の動向を記述している。それは「前衛短歌の抬頭には、それだけの要求があった。だが、実験的なものはあくまで脇役的であるべきで、主役を奪ったとき、その実験室は爆破された」というもの。二、三年前だったか万葉学者中西進が現代短歌への要望としてアンケートに答えた断片は今も忘れ難い。それは、
このあたりで抜本的に短歌の根性を見つめたらどうか。ペタンチックなどのにせ物はもうあきあき。古いの新しいのという論議はもうたくさん。この民族の心の器として何であるのかを見せつけてほしい。
というもの。今や「にせ物」が主流となっていて「この民族の心の器」が求められているのが短歌の伝統の問題なのであろう。



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