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3・11─原発・災害─その後


女川原発再稼働の是非を問う

宮城 堤  智子

赤黒き悪魔の塊核デブリ画面突き抜け茶の間に落ち来
おそらくは生きとし生けるをことごとく殺してしまう悪魔のデブリ

福島原発事故により溶け落ちた核燃料(デブリ)の映像を心凍らせ見つめた三年前。今でもデブリ取りだしの目途すら立っていない。あの日、福島第1原発事故で大量に放出された放射性物質は気流に乗って宮城県の北部までやってきた。県内の空も海も田畑も空気も放射能汚染の甚大な被害を受けた。福島県境にある丸森町では名産のタケノコ、シイタケの即時出荷停止、海のパイナップル・ほやは大量市場である韓国の輸入禁止が未だに解かれず廃棄処分が続いている。石巻漁協では出荷魚の全品検査体制を取っている。それでも大震災前の取引を回復していないという。大量の汚染稲藁や牧草は農家の庭先と農地に山と積まれた。
2015年村井嘉浩宮城県知事は、国の基準1キログラム当たり8000ベクレル以上の放射性指定廃棄物の最終処分場を宮城県に受け入れてもよいと、国に対しいち早く表明した。候補地が適地かどうか、候補地の意向はどうかなど一切無視し、調査の候補地として3か所提示した。
候補地の一つとなった加美町では町長、農協が先頭に立った町ぐるみの反対運動が起きた。トップダウンのやり方への怒りとともに、候補地は、県の水道水源保全地域に指定されている場所であり、町内外の合意は到底得られず、調査を強行しようとする環境大臣を追い返す一幕もあり、この計画を白紙撤回させることができた。
膨大な放射性廃棄物をどうするのか、東京電力と国の無策が続き、国民を将来にわたるまで危険と不安に晒している。
2016年宮城県知事は、今度は基準値以下の県内の汚染廃棄物(1キログラム当たり8000ベクレル以下)の処分について、埋め立てるか、一般ゴミと混ぜて焼却するかなどの方法をとり、自治体の責任で行うとの方針を市町村長会議で打ち出した。焼却により放射能が拡散する恐れはないのか、健康へのリスクは? 風評被害は? など住民の不安を無視した一方的な方針である。これに対し住民は、保管すれば60年後には100ベクレル程度に減少する。焼却せずに保管せよと提案。にもかかわらず仙台市はすでにH27年に全量焼却を強行し、一部の市町村では試験運転を強行、住民は差し止めの訴訟を起こしながらたたかいつづけている。
実はあの日、宮城県女川町にある原発1~3号機で、大惨事に紙一重の事態が起こっていた。女川町を壊滅状態にした巨大津波は17~20メートルに及んだといわれているが、この津波は女川原発にも予想を超える13メートルの高さまで押し寄せた。もし15~20メートルの津波が襲っていたら大惨事だった。さらに震度6弱の揺れにより原子炉を冷却するための外部電源が1系統を残して遮断された。福島原発の悲劇はこの外部電源の遮断からはじまったのだ。火災も発生、熱交換器と冷却水ポンプの水没など不具合は600件以上に上った。現在東北電力は1号機を廃炉にすると発表、2号機は再稼働の申請中である。
こんな危険な原発がなぜ立地されたのか。今もなぜ廃炉にされないで再稼働を申請しているのか。それは国策とともに、国に乗じた県内の癒着の構造がある。安全神話を振りまく一方で不都合な事実は隠蔽し、宮城県原子力行政を担当した元県幹部職員が7人も東北電力に天下りしていた事実、県議会議長、元議長25名が東北電力役員になり報酬を受けていた事実、立地自治体である女川町を潤沢な原発マネーで買収する構造などがあり、その責任は厳しく問われなければならない。
3・11後、脱原発を求める県内の労組、市民団体、個人は、学習会、シンポジウム、大集会、デモ、地域の集会・デモ、福島への視察など多彩に取り組んできた。共産党県議8人を含む超党派県議有志20人(定数59)によって「脱原発をめざす宮城県議の会」が2015年12月に結成されたことは、県民を大きく励ますものとなった。
またNPO法人きらきら発電・市民共同発電所のように、市民自らが太陽光発電パネルにより電気を創り出す運動を拡げていることにも注目が集まっている。これら県民の粘り強い運動が直接請求運動に大きく結集した。
昨年10月2日~12月2日の二か月間、私たちは「賛成、反対に関わらず、大事なことはみんなで決めよう」とのスローガンのもと、原発再稼働の是非を問う「県民投票条例」制定署名運動に取り組み、条例の提案に必要な有権者の50分の1を超す11万4千筆以上の署名を集めることができた。なんと地元女川町では有権者比率で21・8%という県内トップの署名が寄せられ運動を大きく励ました。このような県内世論がマスコミにも反映し、テレビや新聞でも比較的頻繁に報道された。私も受任者として友人、近隣に訴え歩いたが、「東北電力から仕事をもらっている」「夫が公務員」「内容がよくわからない」などの理由で断られることも多く、厳密な署名のため時間もかかったが、めげずに運動を知らせながら38人の協力を得ることができた。署名は昨年末各市町村の選挙管理委員会に提出された。今年2~3月の議会には条例案を提案する予定であり、知事と議員一人ひとりに条例案への賛否を厳しく問う新たなたたかいが始まっている。
県議会の力関係を見る時、女川原発再稼働の是非を問う県民投票条例案を可決させることは容易ではないが、しかし、原発輸出はすでにゆきづまりを見せており、世界は脱原発の流れになってきている。今年実施されるいっせい地方選、参院選も力にし、原発の無い日本を創って行くことが、地球上のあらゆる生き物たちへの大人の責任ではないかと強く思っている。

 

伊方原発の廃炉めざすたたかい

(伊方等の原発をなくす愛媛県民連・代表幹事)和田 宰

伊方原発は3つの原子炉のうち1・2号機の廃炉が決まりましたが、現在3号機が動いています。
伊方原発3号機は、福島原発事故のあと2011年4月~2016年8月まで5年4ケ月間停止。同年8月12日に再稼働が強行されました。その後、広島高裁の仮処分決定で2017年12月13日から運転を停止しました。しかし、2018年9月25日、裁判官が交代した広島高裁の不当決定によって稼働再開に転じ、同年10月27日に再稼働が強行され現在に至っています。そしていま住民は、伊方原発の運転が強行された危険に加えて、乾式貯蔵施設の問題と定期検査間隔延長の問題に脅かされています。

原発運転長期化ねらいの乾式貯蔵施設

どの原発事業者も以前から乾式貯蔵をやりたがっています。使用済み燃料の置き場所がなくなってきているためです。四国電力が露骨にこれを言い始めたのは、2015年12月16日。同年10月には中村知事が再稼働を容認した直後です。四国電力の原子力本部長が、伊方原発敷地内に「耐震性が確保できる固い地盤があれば技術的には可能」と言及しました。2016年1月には、知事が「伊方3号機だけの再稼働なら現在の核燃料プールで10年以上は持つ」としながら、「四電から方針が示されれば乾式貯蔵施設の建設地や安全性を県が検証する」と語っています。「検証」は、伊方原発環境安全管理委員会の原子力安全専門部会に依ることになりますが、これは原発再稼働に問題なしと知事に答申した委員会です。
2018年5月25日、四国電力は乾式貯蔵施設を敷地内に設置する旨の事前協議を愛媛県と伊方町に申し入れました。その際、知事は「あくまでも一時的な保管であることを含め、分かりやすい丁寧な説明に努めるよう要請した」と言うだけ。原子力安全専門部会での審議が進行中です。
原発の運転を続けたまま乾式貯蔵を進めるとどうなるか。3号機の使用済み燃料プールで十分に冷えたものを乾式に移し、その空いた場所には新たな使用済み燃料が入ってきます。水がなくなると直ちに溶融に至る危険なもので、3号機の使用済み燃料溶融事故の危険性を常に最大にしてしまいます。

定期点検期間延長の問題

四国電力は2018年12月17日、原子力規制委員会で「運転サイクルの延長にもトライしたい」と定検間隔の延長を目指す考えを明らかにしたと報じられました。報道の翌日、中村知事は「聴いていなかった」とし、「事前協議」の対象にすることを求めると表明しました。知事がすぐに反対表明せず、事前協議としたことは危険な意味合いを持ちます。県の検討は、乾式貯蔵と同じく環境安全管理委の原子力安全専門部会に託されるので、歯止めにならないことが濃厚です。
果たして2019年1月9日、原子力規制委員会の更田豊志委員長は定例記者会見で、「諸外国の事例を見ても工学的に判断しても、運転期間が少し長くなることでのリスクの増加は、あまり考えられない」「18カ月の連続運転が先進国では一般的だ」と語りました。そして、「乾式貯蔵」を推奨する考えも述べています。四国電力の動向と、それに歯止めをかけない県政の姿勢は、原子力規制委員会に「歓迎」されているとみなければなりません。

1・2号機の廃炉実現し3号機廃炉めざす

1・2号機が廃炉となりましたが、県政はなんら主導的な役割を示しませんでした。中国電力、九州電力などのトップが古い原発の廃炉に言及した2014年3月、住民側が公開質問書で中村知事に問うと、「一義的には、まず電力事業者が判断すべきもの」と電力まかせ。中国電力等が一部廃炉決定の際も全く対応しませんでした。
住民のたたかいは、共同を広げながら粘り強く続けられてきました。2012年から14年までの間には「原発を稼働させないでください」とする知事宛署名が合計26万筆届けられました。伊方町の隣の八幡浜市では、原発についての住民投票条例請求が有権者の36%の署名を集め、議会では条例制定がわずかの差で否決されたものの、住民の警戒心を示すものとなりました。2015年12月には、伊方原発運転差し止め訴訟の松山地裁に9万筆を超える署名が届けられました。
2016年3月に、1号機の廃炉決定に追い込みましたが、2号機の廃炉決定までには、更に2年を要しました。住民側は、2017年11月、知事当てに資料付きの要請書を提出。1号機と同じく2号機原子炉格納容器の管台の内側にヒビがあり補修したことなどを突きつけました。同12月には県議会へ資料をつけて請願。「四国電力の概要と現況」資料から、伊方原発の全機停止状態が4年余経過した2016年3月時点でも、他社に電力を販売し168億円の利益をあげている事実を示しました。2018年3月末に、ようやく2号機まで廃炉にさせました。そして、3号機の運転を差し止めるたたかいが続いています。住民は「原発のない暮らしを求める愛媛県民署名の会」も立ち上げました。2年近くの取り組みを重ねて2018年9月、県民6万3731人分の署名を知事に提出しました。

伊方原発の危険を知らせ、廃炉実現へ全力あげる

伊方原発の沖合5㎞に巨大な活断層があることはよく知られています。さらに、新たな研究によれば、伊方沖の海底のへこみを、中央構造線を境界断層とする半地溝(ハーフグラーベン)とみなし、原発直近に巨大な活断層が走っている可能性があるのです。伊方原発は、地盤や岩石の強度が劣る「ダメージゾーン」にあるという衝撃的な指摘です。
「乾式貯蔵」、「定期点検間隔延長」を許さない闘いにとりくみつつ、伊方原発のあまりに危険な実態を広く知らせながら、3号機の停止・廃炉実現のために全力を挙げる決意です。

見せかけの復興に見えた冷酷な政治

(春日部革新懇 事務局長)星 貢市

「何これ」「へぇ、こんなものができているんだ」ツアー参加者一同の見た驚きでした。住民の帰還も少なく、人影もまばらな山間の村には不釣り合いなほど豪華な建物や施設が目の前に広がっていたからです。
「原発ノー!命かがやけ市民のつどい春日部実行委員会」事務局・春日部革新懇が企画・運営する「福島復興支援ツアー」も5回目になります。実施したのは昨年10月23日・24日の両日です。初日に現地で頼んだガイドさんが案内してくれた飯舘村の新庁舎と周辺の会館や体育館などの施設を見ての驚きが冒頭の様子でした。「ここでオリンピックの練習できそうだね」と、冗談半分で言うほどのりっぱなトラックやグラウンドが目前に。未だ8000人を超える仮設住宅生活を強いられている被災者がいるというのに、復興予算がこういうものに使われていることを予想しなくもなかったのですが、復興を意識させる立派な箱ものや施設が増えている現実があります。
5年続けての視察の成果か、被災地の変化や変容がよく分かります。今回、一年前との大きな変わりようが、この立派な箱ものの増加と、反対に山積みにされていた膨大な除染土を入れたフレコンバッグ(通称トン袋)が減っていることでした。場所によっては、山積みだった田畑からすべてのトン袋が消えているところもありました。いったいどこへ消えたのか、ガイドさんの説明によると、随所に作られたにわか作りの減容化施設(燃やして容量を減らす簡易焼却炉/役目を終えたらすぐに解体される)で焼却するのだそうです。ツアー参加者からは、燃やした煙は放射線を含んでいるのではないか、と質問がとびました。ガイドさん曰く、行政側の説明では、フィルターを通して有害でない程度にしてあるとのことでした。しかし、偽装や改竄、嘘やごまかしが当たり前のアベ政治の下では、にわかに信じがたいことです。そして、つづいての疑問が燃え残ったカスの処分でした。説明では、一定以下の線量であることを確認して、道路などの建設現場で基礎部分に入れるとのこと。つまり、立派に舗装された道路の下には焼却後の除染土がある状態だということです。それでいいのか! 怒りがわき起こりました。
豪華な建築のひとつに、浪江町の4小学校(小高小・金房小・福浦小・鳩原小)が一つの立派な校舎になっている学校がありました。地震災害の復興もまだ不十分な市街地に不釣り合いなほどの近代的な校舎でした。私たちが校門あたりをを視察していると副校長さんが出てこられて、快く対応していただきました。持参した線量計で放射線量を計測すると、空間で春日部の3倍、植え込みや下草のあたりは春日部の100倍以上でした。しかし、すでに子どもたちはここでの学校生活を始めています。校地内をはじめ、市街地の各所に設置されている線量計の表示する数値は、持参した私たちの線量計が示す数値よりも低いことに意図的なものを感じさせられました。
今回も現地の方にガイドをお願いし、ほぼ例年どおりに近いコースをバスに同乗していただいてお話をうかがいました。二日間それぞれ交代でガイドしていただきましたが、どの方も農業や漁業などもとの生業はできずに、ガイドやボランティアをされています。お一人の方は、帰還困難地域に元のご自宅があり、そこへも案内していただきましたが、広い敷地の典型的な農家で新しいトラクターもそのままでした。ただの地震であればここでの農業生活ができているはずだなぁと思いやられました。ガイドの方から、まだ避難されている方、仮設住宅暮らしの方、そして、帰還してきた方などの苦しい生活実態、理不尽な行政の対応を詳細にうかがい、涙を誘われたり、言いようのない憤りが湧き上がりました。
第一原発近くの請戸小学校と近くにある慰霊の丘、希望の牧場、「野馬土」には毎回立ち寄っています。「野馬土」は「相馬に復興の砦を」と集まった人たちが、原発から20㎞圏内の現状を世界に発信しているNPO法人です。全品を放射能検査して安全な産直品の販売もしています。今回は、その野馬土の集会室に生業訴訟原告団団長の中島さんに来ていただいて、原発事故後から訴訟団を形成し、今日までの活動についてまとめてお話をうかがいました。漁師をやり地元のスーパーを経営しながらの裁判活動は並大抵ではないということでした。先のガイドさんや中島さんのお話をお聞きし、交流できただけでも視察したかいがありました。
例年は6、7月実施していましたが、はじめて秋の実施としました。おかげで福島の紅葉も楽しめましたが、捨てられた田畑や空き家、空き地に膨大に群生するセイタカアワダチ草ばかりが目につきました。人の手が入らない地での雑草の生命力を再認識させられました。時期のこともあってか、参加者は募集人数を超える23名でした。ツアーを聞きつけて、富士見市、川越市、白岡市からの参加もあり、そのため、当初予定のサイズからひとつ大きなバスに変更しての実施になりました。初めて福島を視察するという方や春日部のツアーへの参加も初という方が半数だったことも今回の特徴といえます。
最初にツアーを実施したときの現地の方の言葉が、このツアーを続けさせているバネになっています。「支援物資もたすかりますが、何よりの支援は、ここに来てありのままを見てほしい」と。これまで実施してきて、現地を見てはじめてわかることばかりでした。まさに「百聞は一見にしかず」。
冷酷な政治の下でだれも取らない責任、不十分な補償と時期尚早の避難解除、福島などなかったかのように報道しないマスコミ…。だからこそ、このツアーを続ける意味も意義もあります。



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