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短歌、この一年の成果と課題 (17年11月から18年10月)協会 その1

定型短歌の「選のあとに」から  佐藤 靖彦

 はじめに

毎月の協会誌には、日常の暮らしのなかでの喜怒哀楽を詠った作品が掲載されている。選歌にあたった選者はそれらの作品にどの様な課題があると思ったのか。創作活動に役立つようにこの一年間の「選のあとに」から抜粋して紹介したい。なおそれぞれの表題は原文にはなく筆者が付けたものである。

 緊張感の薄い作品

小石雅夫さんは月例の投稿歌を読んで「思いのほかといえるほどに緊張感の薄い印象」をうけたと、四月号と六月号の「選のあとに」に重ねて書いている。そして四月号では

顎をふり微笑の「大沢いくさん」筆談にひととき過ごす施設の窓べ 中島 通子
七人の座席に五人がスマホ打つ本読む一人に持つ親近感 中山 洋子

の二首を引き、評したあと「短歌とはこのように、人事や社会のありさまをさりげなくとらえながらやさしさや批評が的確に表現できるものです」と結ぶ。五月号では、「もちろん誤解のないようにいいますが、何もみんながみんな時事詠・政治詠をと言っているのではありません。……『短歌は短詩型文学といわれる〝詩〟の表現の一つである』のです。〝詩〟であるというならば、格別に異状なこの時期にもう少し鋭く敏感であってほしいのです」と述べる。
「時代と暮らしを見据え、自由に豊かに詠う」を標榜する協会の会員の一人として、あなたの詠っている短歌はそれでいいのですかと、小石さんは問うている気がする。小石さんの四月号・六月号の「選のあとに」に深く学びたい。

選をするにあたっての心構え

松野さと江さんは九月号の「選のあとに」に、「選にあたっての標準的基準などあるわけでないが、とりあえず次のような心構えで選にあたっている」と記す。

○意味の通る〝文〟になっているか
○作歌態度がいい加減で粗雑になっていないか
○作者が表出している思いの質が、余りにも常識的でありきたり過ぎてはいないか
○一首の中に、内容・題材が盛り過ぎになってはいないか
○歌の為の歌。すなわち歌が遊戯的・趣味的になってはいないか
○語法や文法に対して無神経すぎはしないか
○思いではなく脳で歌って、唯の〝おもいつき〟から出発してはいないか
○結論の駄目押しをしてはないか

以上は松野さんが選をするにあたっての判断の観点であるが、裏返して見るならば私たちが作歌するにあたって配慮するべきことであると言える。

言葉を選ぶ

五月号の「選のあとに」で小石雅夫さんは次の様に記している。「言葉を選ぶことは自分のおもいをより見詰めていくことでもあります。ましてや短歌は短詩型文学と言われる『詩』表現の一つであるのです。『詩』と言うのは何も美しく飾った言葉ということではなく、より心のこもった言葉ということです。したがって人間の喜怒哀楽どの場面にでもあるはずのものです」。

助詞の一字で歌は変わる

助詞「てにをは」は歌にリズムを作るうえでも歌の意味を繋ぐうえでも大切である。中山惟行さんは二月号の「選のあとに」で、「助詞の活用が正しく使われていると、歌一首がきりりと立ち上って来て、いい歌になるのではと思った作品がいく首もありました」と言い、添削例を示している。ここでは次の二例を紹介する。

県道行けば広がる耕地は木枯にかや吹き荒れ人影見えず

四句の「かや吹き荒れ」六音のためリズムがしっくりしません。「かや吹き荒れて」か「かやは吹き荒れ」と助詞の「て」か「は」を入れることで作品が緊まるように思います。

開票速報寝つかれぬまま朝の庭石蕗の黄に癒されている

初句と三句の体言が気になります。従って流れるリズムとならず、なめらかな響きがそこなわれているように思います。「開票速報に寝つかれずいて朝庭の石蕗の黄に癒されている」としてみてはと思いました。

抒情性が失われるのは

故・菊池東太郎さんは一月号の「選のあとに」で、「短歌は時として、政治的性急さを求めるあまり抒情性が失なわれると言えるようです」と述べている。

「モリ・カケ」の疑惑も隠す解散に暴走止める今だ逃すな

など三首を引き、評したあと、「(17年)8月号「セミナー」への提言〈P85〉の文学的作品化が課題の項で、「『協会』の作品が成功していないのは、『まず、発想の欠陥。(中略)私たちが一定の社会的認識を有するという自惚れをもっているためでしょう』と指摘しました」と書き、「短歌というものは謙虚なものであると私は思う。表現・言葉の高い文学化を勝ち取る苦闘をして初めて可能なものだと思う」と押えている。

鋭い観察眼を

17年11月号の有村紀美さんの「選のあとに」を最後にそのまま紹介する。
百日紅の次の三首の歌が印象に残りました。

小さな花ほっこり寄り合う百日紅なじみの路に連なりて咲く 髙橋 光弘
百日紅は紅にじませて咲き揺れる原爆投下長崎の日に 中村美智子
枝にありし時の姿も色もなお失わずおりさるすべりの花 津田 道明

三首を比べてみると、作者の思いが何処にあるかによって、同じ花でもこんなに異なる感動を表現することが出来ることがわかります。いずれも鋭い観察眼を持った方々でそれぞれの花の時期の百日紅の特徴をしっかりと掴み、表現したい事象をより深く表現することに成功していると思います。

おわりに

「選のあとに」と共に「月集作品」や「作品評」からも学び、いい歌とはどういう歌なのかを判断する力や作歌力を養うのに役立てんことを願うものである。

 



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