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短歌、この一年の成果と課題 ( 17 年11月から 18 年10月)歌壇

困難な時代に希望を歌うこと    津田 道明

二〇一八年は全国各地で自然災害が続発した一方、この復興に力を注がず、〝働かせ方改革〟などの悪法を政権党が強行した年として、また安倍政権が明文的改憲に向かって露骨な策動を強めた年として記憶されるだろう。
同時に、沖縄県知事選挙において、急逝された翁長知事の後を普天間基地撤去・辺野古基地建設反対と沖縄振興を掲げたオール沖縄の玉城デニー候補が政権与党と野合勢力を一蹴した年として長く記憶されるだろう。
この激動のなか、短歌はどうだったろうか。

年間評のあらたな試み

歌壇の動向を把握する上でまず注目するのは短歌雑誌の〝特集〟だ。ここにはまず各短歌雑誌の経営戦略・編集方針がある。
しかし、不特定多数をマーケットとする一般の文芸誌と異なるから、編集方針は短歌実作者の問題関心の上に築かなければならない。つまり「特集」は、発行者と執筆者、実作者の問題意識が鮮明に交わるところに成立するといえる。
しかし私自身もこれまでの年間評で特集を取り上げてきたが、問題はこれが多様な特集の紹介的な、ざっくりとしたスケッチ風の解説に陥りがちになることである。
また〝歌壇〟には、結社という文学団体も存在するが、この動向を把握するのは、専門歌人でない一実作者の立場からすればほとんど不可能に思える。
このような難しさもあるけれど、私たちが民主主義短歌の創造団体である以上、歌壇全体の状況を把握することはとても大切なので、「新日本歌人」らしい厚みを持った「歌壇評」の取り組みを工夫できないだろうか。
例えば、地方紙の新聞歌壇や年金者組合や新日本婦人の会などの地方組織の機関紙の投稿欄、また協会員には結社に所属している人も少なくないので、その地方組織の動向など、支部を基礎にして「年間評」に取り組むこと等が考えられてもよいのではないか。

〝特集〟にみる歌壇の動向

ところで本誌の年間評の締め切りは一〇月半ばである。したがって検討対象となる短歌雑誌には昨年末の年鑑的雑誌も入る。つまり年間評は実際には二年にまたがるものとなる。いわば年間評は、裁縫の〝返し縫い〟とでもいえるだろうか。
この〝返し縫い〟にしたがって考える時、まず昨年の「年鑑」では「短歌研究」二〇一七年十二月号の「歌壇展望座談会」(佐佐木幸綱、三枝昻之、栗木京子、小島ゆかり、穂村弘)に注目した。同座談会の最後の総括的議論で佐佐木幸綱が、「今後の課題として短歌がどう社会に向き合うか」と発題している。これに対して、栗木京子が雑誌「現代短歌」に連載された吉川宏志の「戦争と平和のはざまで歌う」という対談、対話に注目していると応えている。
今後の短歌の在り方について、内容的には社会との関わりを、方法的には「対話」ということを強調した点に着目すべきである。
かつて佐佐木は歌壇の現状を、めいめいが勝手に言い合い、誰も人の話を聞かない「歌壇カラオケ状況」と説いたことがあったが、吉川がゲストの職業人でもある歌人と「対話」を重ねた点は歌壇に一石を投じるものだった。
こうした対話の試みが歌壇の主要な潮流であるとは言えないにせよ、この昨年末の指摘は今年の短歌雑誌の特集に連なっている底流のように思える。今年の注目特集を挙げる。

「現代ならではのテーマをどう歌うか」(「短歌」四月号)
「生活詠にみる時代」(「歌壇」六月号)
「沖縄を詠う」(「現代短歌」八月号)
「分断を越えられるか」(「現代短歌」三、四月号)

現代短歌のテーマ

「短歌」四月号の特集では総論を栗木京子が書き、続いて「介護の歌」(藤島秀憲)、「労働・仕事の歌」(島田幸典)、「ジェンダーにまつわる歌」(染野太郎)、「ポップカルチャーと短歌」(藤原龍一郎)、「時事はどう詠うか」(大辻隆弘)、「時代を象徴する秀歌史」(田村元)、「時代的変化─現代の希薄感」(永井祐)、「軽いテーマを重く詠う/軽く詠う」(小島なお)と続く。
各テーマに触れる紙面の余裕がないので栗木の稿をみることにする。
栗木は稿中、「昨今の歌集や雑誌の掲載歌や投稿歌を読んでいて最も特徴的に思われるのは、介護や老いをめぐる歌の多さである」とする。その中の一首。

人体は止むことのなき吹雪なり気管切開
「する」に丸せり 川野里子『硝子の島』

手術の同意書のことだろう。緊急時に際し、家族にはその意思表示が求められる。医療の選択、即ち命の存続の決断を迫られる場面である。吹雪は病む人だけでなく、自分自身の内側にも吹きつのっているのだろう。
続いて栗木は若者の「労働をめぐる環境を詠んだ歌が印象深く思われる」とし、電通社員だった高橋まつりさんの過労死や非正規雇用などの問題にふれたあと、昨年十二月に上梓された『滑走路』(萩原慎一郎)を取り上げ、歌集から二首を引いている。

夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

作者の萩原は一九八四年生まれ。中高一貫校に入学後〝いじめ〟にあい、精神的な不調をきたすが、高校、大学をおえ、アルバイト、契約社員として働く。望むべき生活ではないなか、彼の生を支えていたものこそ、短歌であった。その歌を以て自分の生き方を問い、その生を確かめるように様々な短歌賞に挑戦し、二〇一四年から二〇一七年にかけて受賞歴を重ねた。その中には朝日歌壇賞(馬場あき子選)もあった。
栗木はこの口語の調べの「軽やかさや自在さが、逆に苦悩の深さとなって作者の肉声をまざまざと連れてくる働きがある」として、作品からは「『今』という時代の頼りなさや行方の見えがたさが炙り出されてくる」と書く。
こうした非正規雇用はいま全勤労者の四割近くにのぼっている。一九九五年、日経連(当時)が打ち出した「新時代の『日本的経営』」をベースとし、今日の〝働かせ方改革〟に連なる労働政策によって、現場はずたずただ。
『滑走路』は「短歌」七月号で座談会が行われたほか、全国紙やNHKなどのメディアでも取り上げられ、反響が広がっている。

生活詠にみる時代

「歌壇」六月号の特集については編集後記に意図が簡潔に書かれている。

「混沌とした社会の中で生活の骨格が崩れ、生きにくさのようなものを感じている人は多いのでしょう。特集はそんな生活の細部からみえてくる時代というものを考えてみました。社会詠などは時代を鋭く切り取る視点から詠まれますが、生活詠には顕著に生活者の実感が表れているように感じ(中略)暮らしの中に表れる時代の影に迫っていただきました。」

時代像を描こうとすることから、「厨歌」というような生活の諸相をテーマとせず、一九四〇年から一〇年ごとに区切り、水野昌雄以下八人で八〇年間をカバーしている。
総論を書いたのは松村正直。松村は戦後の焼け跡での生活風景からはじめ、食、衣服などの日常の歌を引用しながら、「時代を意識せずに詠まれた歌の中にも、このように時代の影は刻印されている」という。

燃ゆるやうに煙草のけむり放ちゐるピケラインの中のジーンズ

篠 弘『昨日の絵』(一九八四)

ジーンズのあとには(を穿ける者)が略されている。猛烈に煙草を吸っているのだろう。喫煙が常態であって、ストライキやピケットラインという言葉が生きて輝きを放っていた時代風景が詠われている。ジーンズを風俗的に解するのではなく、その向こうに時代を見通すことは、松村が言うように、生活詠を読み解く「楽しみ」だろう。
各年代のなかで、さきにあげた「短歌」四月号の非正規雇用問題との関連から、加藤英彦の「時代の暗部をのぞく目─一九九〇年代の生活詠」を取り上げてみたい。
加藤は書く。大量の失業者など「統計上の数値は均質化されている分だけ、現実の過酷さの十分な反映とはなりがたい(中略)その点、私性に支えられた短歌は、一人の生活者の具体を照らし出すという意味でリアルだろう(中略)しかし容易に個人の生活が露呈してしまう」ので、発表にあたってはハードルが高くなるという。加藤は続ける。「短歌に限らず、多くの表現手段を持たない声なき声は、しかしどこかにその痕跡を残しているはずである。おそらくそれは発表されることのない一首の中に眠っているのではないか。誰にも覗かれない心の闇の底で、ひっそりと息を殺してこちらをみているのではないか。」
生活詠の背後の闇の歌を二首ひく。

一思いに、とはいかなる思いか一年の自殺者三万そらみつやまと  久々湊盈子
自殺者の三万人を言いしときそのかぎりなき未遂は見えず 吉川宏志

沖縄はどう詠われたか

特集「沖縄のうた」を含む「現代短歌」八月号は、読み応えのある一冊だった。
まず同誌の独自企画である巻頭五十首詠を波照間千夏と千葉聡が担当している。
続く特集では、「『白粉』そして『ギブミー』からの出発─心に残る戦後沖縄の短歌」(仲程昌徳)、「戦後沖縄史における沖縄独立論」(小松寛)、「危機の時代・文学の現在」(平敷武蕉)、「六月十八日、辺野古」(吉川宏志)の論稿に加え、十八人の歌人が作品七首を寄せ、これに六月十七日に行われたパネルディスカッション「分断をどう超えるか~沖縄と短歌~」(名嘉真恵美子、平敷武蕉、屋良健一郎、吉川宏志=司会)の記録が再現されている。
このパネルディスカッションの記録は編集が光っていて、フロアからの発言を丁寧に取り上げたことに加え、発言者のうち、七人からの「印象記」も掲載されている。
さらに連載「短歌って何」(鳥居)も特集と連動されていて山之口獏の詩や琉歌、短歌の紹介もたいへん丁寧だ。巻頭詠から引く。

体育を待ちわびる子らと先生の心に何度もへりの窓落つ 波照間千夏
ヘリの窓落下後小学生たちは582回避難す
「文学は平和のために」先生が少年の顔になる祝賀会 千葉 聡
俺の書くものは平和に役立っているのか強く打つ句読点
「よし次は」今も先生の声を聞く 何かに頭を垂れる深夜に

一、二首は那覇市内の米軍ヘリの部品落下事件を詠う。三首目には大学で師事した外間先生と詞書にある。四、五首目には作者の気概と小説「藤野先生」の最後、魯迅が藤野先生の写真を見上げる場面を想起させる。

沖縄において沖縄を詠うこと

特集の四本の論稿では現在の沖縄問題と沖縄短歌の現状が歴史的に把握できる。沖縄は「本土」が戦後、「独立」を果たして以降も現実には米軍支配が続き、復帰後も地位協定その他によって米軍が特権的な地位を得ている現実があり、短歌もまたこの重い現実との格闘なしに存続できなかったことが示される。
この現実のなかで、人びとの政治的選択はさまざまに揺れざるを得ない。県民の大多数が基地撤去を求めながら、首長選挙では基地容認派といわれる人が当選することもある。
このような現実は、短歌表現に反映する。
平敷の論稿では、この複雑な現実の一つの反映として〝自己規制〟の問題をあげる。

ところでもっと怖いのは、表現者が自ら抵抗の精神を失ってしまうときである。弾圧を恐れて表現者が自己規制し、萎縮し、果ては権力に協力する作品を発表するに至ることである。

平敷は二〇一六年夏、屋良健一郎が企画した『短歌と戦争・平和』展の作品募集にあたって、屋良が「米軍基地県内施設への賛否など政治色の強い歌はできるだけ避けるようにお願いした」ことを自己規制の一つとしてあげる。平敷はこの屋良の「お願い」に「ヘンな所に足を踏み入れた気味悪さを感じている」(名嘉真恵美子)などを引きつつ、「私はこの文書に多大な危機感を覚え」たという。屋良の対応を創作の場面で考えると、歌人として同時代的問題への思いを詠わないとすれば、表現は限りなく回想詠に収斂する。しかし沖縄戦は今日の現実と地続きの問題なのだから、回想詠に限られれば詠うこと自体、かなり困惑をもたらすことになるだろう。
屋良自身に〝自己規制〟が働いたかどうかは議論があるようだが右に書いたとおり、客観的には、他者に表現を制限する作用を及ぼすものとなっていた点では、この「お願い」は短歌の生命力に関わり、平敷が「危機感」を持ったのは故無しとしない。
屋良自身は、「歌壇」二〇一六年十一月号、本年の「現代短歌」三月号においてこれらの指摘を受け止めていることを明らかにしているので、沖縄の現実を短歌世界にどのように表現し、豊かにさせていくか、という方向に向かって全体としては歩みつつあると私は受け止める。こうしたやり取りは対立の厳しさとともに、克服にむけた基本的な信頼の構築という沖縄短歌の前進を感じさせるものだった。七首詠から二首引きたい。

この花をハイビスカスとは呼ぶまいと慰霊の日に見る仏桑華の赤 大城和子
揺れている沖縄ゆれている私 波打ち際をまっすぐ歩く 浜崎結花

分断は越えられるか

昨年の本誌十二月号の年間評で小石雅夫は、本土の歌人が沖縄の現実を歌うに際して持つ〝ためらい〟のようなものを払拭することを呼びかけた。同時にまた辺野古の工事現場で永田和弘、三枝昻之ら所属結社を異にする歌人が現場に立っている姿を目の前にして感銘を受けたという。
こうした歌人の行動もふくめ、今年の特集を見ると、現代短歌の底流には、困難な現実と短歌をめぐって、そこに生じている軋轢を無視したり、ただ論難したりせず、他者の表現を認め、〝対話〟を通じてより高く広いところに短歌表現を押し上げていく動きが起こっているのではないかと思われる。
最初の項で歌壇の底流、と書いたが、その意味は二〇一五年末安保法成立直後、京都で行われた緊急シンポ「時代の危機に抵抗する短歌」及びこれに続く「時代の危機と向き合う短歌」(東京)があり、そして先の沖縄でのパネルディスカッションに続く流れを指す。そしてこの動きに並走しているのが、3・11以降の大震災からの立ち直りに関わる様々な結社、短歌人の活動だ。
東北とりわけ福島は、いまなお大きな困難の中にあるが、「現代短歌」三月号特集では本年一月福島において開催されたパネルディスカッションの記録が掲載され、基調講演の太田美和は最後をこう結んでいる。
文学の力、言葉の力は小さいですが、それは生活者である私たち一人一人の小ささと同じです。無力だからといって何もしないのではなく、今生きている者同士として、手をつなぎ合えるところを見つけて、時には歴史的な視野に立って連帯の可能性をさぐっていきましょう
またこの特集の七首詠から引くが、分断の
重い現実がある。

母逝きて二度目の盂蘭盆避難地へ迷はず来よと迎へ火を焚く いわき市吉田信雄
福島産の花火さへもがセシウムを撒きち
らすとし恐れられにき 同 伊藤正幸
フレコンバック山なす故郷に帰還命令下
しし国の心を知らず 川俣町紺野乃布子

分断を越える力

右の福島の歌にも表れているように、国内外で現代社会の大きなテーマの一つに「分断」の問題がある。それは政治や多様な社会運動のレベルの問題であると同時に、人間の内面の問題としては文化や芸術の問題であり、すぐれて文学の課題でもある。
さきに引いた沖縄での短歌のディスカッションで話題になった、つぎの歌から問題を考えてみたい。

次々と仲間に鞄持たされて途方に暮るる生徒 沖縄 (佐藤モニカ『夏の領域』)

一首の鑑賞では様々な意見が交わされた。
生徒が、あそびの延長で鞄を持たせていて、それが「沖縄」の存在に結びついた、とする鑑賞や、いじめの場面ととらえ、それを比喩として持ち出すのは軽すぎるのではないか、という意見、一首のなかに沖縄のすべてを求めるのは無理で、実景をみて「あっ、沖縄に似てるな」という受け止め方で良いのではないか、などさまざまな意見が交わされた。
多様な読みは、パネラーとフロアが活発に議論するという風景から生まれている。この記録にはないが、吉川の稿には印象記を書いた浜崎結花(去年まで高校生だった)の発言「いじめが軽いと思うのは大人の感覚でしょう。学校の中にいたら、いじめは死ぬほどつらい。中にいるのと外にいるとでは、感覚は全然違う。そんな分断も、この歌の読みには表れているのではないでしょうか」が紹介されている。比喩の表現として正鵠を得た指摘であり、この指摘によれば、「途方に暮るる」という描写にも注目すべきではないか、と思う。不当な米軍基地に対する県民の正当な怒りという非和解的な逆説(パラド ックス)の構造はストレス以外の何物でもなく、怒りも嘆きも不安も、そして恐怖をも生む。佐藤モニカの表現は、日米両政府による米軍基地の存続強化という核心的問題の、同心円的な、多層的な現実描写の一つではなかったか。
浜崎の指摘で直ちに想起したのは『滑走路』である。萩原は出版社に歌集の原稿を渡した後、六月に自死した。萩原の短い生涯の過半は苛めに起因する苦悩の生涯だったのである。
〝底流〟の動きを促している一つの力は、紛れもなく、萩原や浜崎、佐藤のような〝当事者〟の発信だ。当事者の発信に共感し、そして私たち一人一人もこの大きな同心円上の当事者であることを自覚する時、分断を越え、共同の力が生まれ、この力がさらに縒りあわせられる時、短歌という詩形は歴史と社会と人間に働きかける大きな力となるだろう。

短歌史とに連なる自覚

「かりん」の40周年記念号には触れておきたい。記念号は531頁の大冊だった。発行人の馬場あき子は冒頭、「時代を生きる視野と豊かな人間性を求める方向を失わず、短歌という詩形がより豊饒な今日性を持った様式となるよう、論と実作の力を培っていきたい」と記した。「かりん」の四十年の作品論、歌人論は後継歌人によって書かれた。惜しまれるのはこの記念号を見ることなく創始者の岩田正が昨秋亡くなったことだ。岩田は渡辺順三や創刊時の「人民短歌」と深く関わってきて、「短歌」2月号他各誌の追悼特集が出された。付言するなら、岩田が半世紀前、一九六一年の角川短歌賞を受賞した浜田康敬の生活感覚に裏付けられた抒情を強調したことは忘れ難い。岩田は浜田の〝豚の交尾〟の歌が喧伝される中、これを採らないとした歌人論(『現代歌人論』所収)において、家庭的に恵まれず、印刷工として働きながら通信制高校を終えた浜田の「生活者歌人としての真摯さ」に注意を払っているが、本稿で再三取り上げている萩原慎一郎の評価を遡れば、その源流の一つは岩田にも行き着く。
「かりん」の短歌史から目を転ずると、現代歌人協会の公開講座の「添削から探る歌人の技と短歌観」が注目された。四月の斎藤茂吉から十月の土屋文明まで六人が取り上げられ、「歌壇」七月号から連載されている。第2回の佐佐木信綱編では講師の佐佐木幸綱が信綱の添削にさらに「添削」を試み、信綱を相対化して検討を加えている。尊敬すべき存在としつつ、さらに表現を突き詰めようとする真剣さがここにはある。短歌史から学び、短歌史を創造する意志を持ち続けたい。



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