新日本歌人

新日本歌人 入会のご案内

新日本歌人 > お知らせ > 短歌時評

短歌時評

時代と切り結ぶ歌を

長  勝昭

「短歌」一月号に内田弘の新連載コラム「現代短歌指南・親父の小言」が掲載されている。今回のタイトルは「時代にもっと敏感に」である。ここで指摘されているのは、結論として最近の総合誌・結社誌などで取り上げられている内容は「余りにも短歌の作り方や歌人論や表現論に偏っていやしまいか。機会詩としての短歌にもっと目をむけなければならないのではないのか。そして時事的な事柄にもっと重点を置くべきではないか。この頃の政治の有様を見るにつけ、表現者として『現代』の問題点を鋭く抉るような短歌がもっとあるべきではないのか、と思う。今が危機だから」というのである。もろ手を挙げて賛成!である。そんなことを念頭に置きながら、新年号の総合誌の特集のページを繰った。

「短歌」の特集は「新春七十五歌人大競詠」である。七十五人六一二首の文字通りの大競詠である。しかし、予想はしていたことだが、驚いたことに時事詠に類するものはほとんど見当たらない。皆無に等しいと思われるほどである。目の前にある重要な課題に対するアクセスが見当たらないのである。本当にこれでいいのだろうかと、目を疑った。しかし、これが現状であることをまずは認めなければならない。
取り敢えず、それと思われる十名の歌を、異論もあろうが抜き出してみた。

・三猿の知恵にすがるは安易なりむらむらと湧くわれへの怒り 岩田 正
・年始状戊戌(つちのえいぬ)と書き継ぎて戈(ほこ)多きかな戦を憂ふ 春日真木子
・蒼いかげが壁の凹凸を明らめる。こころの部屋に命令が降(ふ)る 岡井 隆
・右翼竜アベノサウルス この国の太郎が選んだ 花子が選んだ 高野公彦
・雨上がり光あふれる那覇の町『沖縄独立論』虹のごと立つ 道浦母都子
・選挙にもう行くことのなき人のあり雨に揺れいる白線渡る 吉川宏志
・あきらかに国策に則ふ動きなり五族協和謳ふのらくろ探検隊 来嶋靖生
・いつまでも岩田の力は借りたかった九条を右へ右へまげ あっ! 田村広志
・いざといふときに軍用機の飛ぶを知りおれど人は口にはださず 外塚 喬
・その窓のこちら側から日に一度覗けり砂漠の国の戦闘 谷岡亜紀
・子は読書感想画を描き戦争孤児の涙をみどり色に塗りたり 大口玲子

「歌数の多少にかかわらず、歌人は詠わなければならない」と自戒をこめて内田は述べているが、六百首という分母に対して余りにも少ない数である。
この特集では、作品+エッセイ「世界で一番有名な歌は」というおまけがついている。この問いに対して大島史洋は「何ゆえこんな質問が発せられ、答えなければならぬのか、困惑するばかりである」と応じている。それかあらぬか、回答で一番多かったのは、「君が代」十二名、発問者の意図に適ったものになっているのだろうか。ついでに紹介しておくと、個人名で多かったのは、啄木5・牧水5・晶子3である。
「短歌研究」の特集は「平成大東京競詠短歌」で、二十三歌人が変貌する首都東京を詠っている。
・夏草の涯に陽炎う 焼跡の上野浅草とおきわが日々 福島泰樹

「短歌往来」の特集は「『三十代歌人の現在』を詠む」である。これは同誌八月号で発表された三十二人の三十代歌人の作品を江田浩司・香川ヒサ・大井学の三人が論評したものである。

「歌壇」の特集のテーマは「不易流行の短歌─短歌の不変と流行とは」である。黒瀬珂瀾、斉藤斎藤、谷岡亜紀、花山周子、松村由利子ら十人が所論を述べている。編集氏は「むろん答えがすぐ出る問いではありませんが、そこに込められた深い意味を探ってみることで、根底に流れるもの、そこから独自に生み出されるものについて考える一端となればと思います」としている。そういった問題提起の一つということであろう。因みに斉藤は「短歌が日本語であるかぎり、一人称でメノマエの出来事をつぶやく方法を、完全に捨て去ることはできないだろう。だとすれば短歌が、個々の作者の現実の生という、作品の臍の緒を切り捨てることも考えにくい。」としている。

『現代短歌』は「特集 犬の歌」である。戌年とは言えここまできたかと思うほど、なんと七十頁・誌面の四割超を占める大特集である。著名な歌人が愛犬との情にあふれた関わりを詠んでいる。また、編集部選による「万葉」から現代に至る「犬のうた 一〇一首」の労作もある。ヒトと犬との関わりは、クロマニヨン人の大昔に遡りその絆は深い。
ここで理屈抜きに読まされたのは、「坪野哲久と愛犬ダビ」當摩英理子と、「ダビのうた」坪野哲久九十首である。
・わが胸に顎すりよせてねむりたりこの犬ひしひしといのちのかたまり
・哄笑はこの世革まるときにすと相伴いき十五年のあいだ
・息絶(こと きれ)しなれにおののく非力なるこの十本の人間の指
・年月のくらくおもきによろめけるわれを支えし汝に謝すべし
哲久の郷里・石川近代文学館の當摩は
─ダビの歌も・・哲久の身近なものへの温かな視線と情の深さを示す・・としている。
内田弘の「親父の小言」の今後に期待するとともに、「時代と暮らしを見据え・自由に豊かに詠う」新日本歌人の指針の重要性を再確認したことである。



このページの先頭へ