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協会のこの一年

●短歌、この一年の成果と課題 (16年11月から17年10月)

協会 新しい前進に向け、着実な地歩を  清水 勝典

はじめに

昨年八月の第五十二回総会は、創立七十周年記念レセプションと同時に開催され、詳細は十一月号に掲載された。総会では、これまでの七十年の到達を概括して、創造活動と組織活動を発展させながら「新日本歌人」誌の発行を堅持し、組織的には会員・購読者の千人台を維持してきたこと、戦後歌壇の民主主義的発展に寄与し、歌壇との共同連帯の場をつくってきたことなどを挙げている。その上に立って、今なお学ぶべきものとして『新日本歌人協会六十年史』を挙げ、ここに示された貴重な教訓にも学び、更なる前進をはかろうと訴えた。そして、戦争する国づくりを強引に進めようとする政治状況にあって、新日本歌人協会は、規約に示された「平和と進歩、民主主義をめざす共同の立場から、広範な人びとの生活・感情・思想を短歌を通じて豊かに発展させる」立場を改めて確認し、創造活動、組織問題での課題を提起した。
協会の一年を振り返るに当たっては、創立七十年を節目とし、次の新たな前進に向かってどのような地歩を築き始めることが出来たか、またその方向性と課題は何かが視点になるかと思う。

創造活動について

戦争する国づくりを進める安倍暴走政治は、私たちの日常生活や環境などあらゆる分野に深刻な影響を及ぼしている。この中にあって私たちはこの一年、生活・感情・思想を短歌として作品化するために努力してきた。この到達点は会員それぞれがこの間の作品から学んで欲しいが、本誌別掲で「私が選んだ十二首」の特集が組まれているので、これらの作品からも学んで欲しい。ここでは今年大きく注目された「共謀罪」に焦点を絞って少し考えて見る。
「共謀罪」に関わる作品は協会誌では一月号頃から見受けられる。政府、自民党の動きに対し、この法案の狙いについての学習活動が各地で始まり、作品化されたものだろう。三月に政府が法案の閣議決定をし、六月までの国会会期中での成立方針が示されると、関心は一気に強まり、さらに国会論戦を通じて法案のひどさ、危険性が浸透し、国会周辺を初め、全国でのたたかいが高揚すると、法案への怒りや行動を詠った歌が多く投稿され始めた。「新日本歌人」誌七月号では、その号に掲載された作品を急きょ抄出し特集を組んだが、作品が投稿されたのはその三か月前の四月で、丁度その時期に当たる。作品特集は、全国のたたかいに短歌作品をもって協応してゆくもので、新日本歌人協会らしさが現れている。

薄めても濃き白濁は薄まらず殺虫剤もこの共謀罪も 大畑靖夫
そのうちに友と目配せすることさえ憚(はばか)る時代にするというのか 山川康夫

国会での「共謀罪」法強行採決の動きを受けて、八月号以降にも関連する作品投稿が続いた。

共謀罪反対の署名に応じゆく私ひとり一人にありても 糠谷京子
歌を詠む内心すらも罪に問う危機極まれりこの年の春 松浦直巳
深紅の花の置かれし棺より多喜二も起たんか共謀罪阻止に 安武ひろ子
身に覚えなき罪ふやす法成りて梅雨のひと日を鬱曳きて過ぐ 髙橋光弘
この歌も危ないですね、の声ありて歌会は共謀罪のことに及びぬ 中山惟行
少年の夢まで奪う共謀罪 地図・双眼鏡は孫の持ち物 横井妙子
ものいえぬ暗き時代にもどるのか怒りとどかず畑に鍬うつ 飯ケ谷るみ
不如帰ひと際高く啼きやまず共謀罪の可決さるる夜 鬼藤千春

社会的な問題を素材に詠った場合、とかくして、類型的な発想に陥りやすい面が指摘される。この「共謀罪」を詠っても言い古された「壁に耳あり」をそのまま歌に詠みこんでいるのも目立った。その点、これらの歌には作者独自の視点が見られる。
また、七月に国連で採択された核兵器禁止条約に関わり、空席だった日本代表席に置かれた折り鶴の歌が多く読まれた。報告的な歌が目立つ中で次の作品に目を留めた。

にんげんのつくりし悪をにんげんがとどめる条約に「ヒバクシャ」の文字 かとうとしこ

感動を自分自身の言葉で言い表す、それはそれで難しい課題だが毎月の会員の作品の中から学ぶ努力が求められている。

社会詠を学ぶ上で

『平和万葉集巻四』は、社会詠を学ぶ上で重要な歌集ともなった。協会誌では毎号「平和万葉集を読む」と題し他結社をはじめ様々な分野の方からの読後感が連載されているが、本歌集を再読する上で大変参考になる。
「憲法九条を守る歌人の会」がこの十月に出した『歌集・憲法を詠む 第十集』も貴重だ。今回の第十集も、従来と同様、呼びかけ人の歌、応募作品の他、物故歌人十二人の歌が十首ずつ抄出されている。歌人協会に関わる物故歌人として田中要、坪野哲久、八坂スミ、引野収(順三賞受賞)、松岡正富(同)が取り上げられている。

何のための七十年か憲法か今の政治家は商売する人 田中 要
行動のはげしき意志をひびかせてシュプレヒコール雨をつんざく 坪野哲久
這うこともできなくなったが手にはまだ平和を守る一票がある 八坂スミ
反戦のいかなる行為なし得るや今なら間に合うまだ今ならば 引野 収
改憲へ議員続々当選し夜っぴてバンザイ眠れぬ耳に 松岡正富

挑戦の場を広げて

作品の向上のために歌会はまさに学びの場だ。そこでは時に痛烈な批評があるかも知れないが、いつも褒められて、ちやほやされてばかりでは決して上達はしない。何も言われたことをそのまま鵜呑みにするということではなく、相手の批評に耳を傾け、納得できるものは取り入れてゆくことであろうと思う。
協会誌への投稿以外に、様々な場に作品を応募することも歌の上達に役立つだろう。それは、啄木コンクールへの応募であったり、各種短歌コンクール、新聞歌壇など様々だ。そこでの入賞や、入選は嬉しいし自信にもなる。
協会誌の「支部のいぶき」に目を通すと、十一月号に「溶岩原通信」で田中進さんの歌が朝日歌壇に入選、三月号に「京都支部だより」で奥田君子さんが第五回河野裕子短歌賞を受賞、六月号に「ふれ太鼓」で大阪民報文芸賞を川崎通子さん、布川球子さんが受賞、とあった。
奥田君子さんが受賞した作品は次である。

二人子の広き背中の間より麻酔覚めゆく夫を見守る

ネットで検索すると選考経過もあり、奥田さんの歌について選に当たった島田幸典が「主人が大病を患い手術を受ける中で、二人の息子に対する信頼、頼もしいと思う心に、今気づいた。そんな心の動きをよくとらえています」、東直子が「夫を見守りつつ、息子が立派にたくましく成長したことを喜ぶ気持ちが出ていて、奥行きが感じられるいい歌。麻酔の表現など情景の構図が新鮮です」、俵万智が「息子の背中越しにこわごわのぞく、そんな情景が良く出ている」とコメントしている。いずれも高い評価で二千を越える応募の中の一席の作品と納得する。機会をとらえて、多くの人が様々に挑戦をと思う。

先人の作品から学ぶ

小石雅夫新代表は就任の挨拶として十一月号で次のように述べた。
「新日本歌人協会を創立し、その出発を果たし、またその途上の困難を越えて現在に引き継いでくれた幾人もの先輩たちへの思いを走らせます。渡辺順三、佐々木妙二、赤木健介、小名木綱夫、坪野哲久はもとより、宮前初子、中下煕人、松田みさ子、川崎むつを、福田穂、吉村キクヨ、向井毬夫、田中収ら、その他会員の誰彼を。こうした列挙はなにも単なる感傷ではありません。新日本歌人協会が一貫して歩んできた民主主義短歌運動の脈流をつくってきた一筋の人間のありようを考えさせられるのです。創立七十周年という『いま』を、どう捉え、どう考え、どう生き、どう進んでゆくのか。また、右の先達たちの仕事から何を学び、引き継ぎ、何を補い、加えていくべきなのかをも、新日本歌人協会に依る会員として少しずつでも心していきたいと思っています」。
これを受けて、今年三月に開いた全国幹事会の常任幹事会報告は「夏のセミナーは、先人たちの歌、評論などから学ぶ機会にしたい」と提起し、八月の夏のセミナーでは「協会の歌人たち─作品を読む」と題し、深川宗俊、宮前初子、中下煕人、松田みさ子、吉村キクヨ、向井毬夫、福田穂の作品から各五十首を抄出し、紹介した。夏のセミナーの協会誌での報告は十一月号であり、今回の一年の総括の範囲外でもあるので詳細はそこに譲るが、大変好評で、今回取り上げられなかった協会の先輩歌人の歌からも引き続いて学んでゆくことが大事だと感じさせられた。なお、「協会の歌人たち─作品を読む」は後日全ての会員に頒布することを決定しましたので大いに学び合いたい。
セミナーの場で、参加者から、これを機会に協会の歌人研究に取り組んで欲しいとの要望が出されたが、先人から学び引き継ぐ上で重要な指摘でもあった。

評論・エッセイ

九月号の評論「佐々木妙二と小林多喜二」(碓田のぼる)は、二人の交友と多喜二を生きる指標とし続けた妙二の姿を浮かびあがらせ興味深いものだった。
八月号から連載開始された「Tanka Global Eyes」は特筆すべき企画と思う。筆者であるイギリス在住の渡辺幸一氏の海外から日本の現状を見る目は鋭く、夏のセミナーでテーマにした「時代に真向かう短歌を考える─深く、強く、痛切に」を志向する私たちにとって大変示唆に富んだものとなっている。

啄木祭

啄木祭は東京、静岡、埼玉で開かれそれぞれ成功させた。民主的短歌運動を全国的に広めていく上で、規模の大小は問わず各地での開催が求められている。成功のカギは、広く宣伝すること、支部に依拠して進めることと思う。今年の東京での啄木祭は文化団体連絡会議、日本民主主義文学会、詩人会議の協賛を得て開催、静岡では他分野の団体と実行委員会をつくり開催した。この経験を踏まえて取組んでいくことも重要である。

近県集会

関西近県集会(五月十四日・滋賀)が塔短歌会の吉川宏志氏を講師に一七〇名参加で行なわれるなど、近県集会はますます盛んである。それは実行委員会を中心にした魅力ある企画、ニュースを随時発行し組織化をはかるなど緻密な準備のもとでなしえたものと思う。会員の中には交流し、学び合いたい要求が強い。高齢化や経済的事情などあって比較的参加しやすい近県集会はいっそう重要になってくるものと思う。

短歌講座

愛知支部が新しい試みとして開催した「短歌講座」に注目した。講座を取組むに至った経過と内容は、協会誌八月号の「二〇一七年夏のセミナーへの提言」で津田道明氏が詳述している。「会報あいち」によれば四月開催の第一回は十九名の参加で、短歌に縁のなかった人も六名が参加、関心の高さを示している。六月から岐阜でもほぼ同内容で津田氏が行っている。
このような短歌講座が全国的に開ければと切に思う。壁になるのが指導者不足の問題だ。展望がないわけではない。今回の講座は津田氏の力に負うところが大きいが、参加者の中から「自分たちでこのような講座が出来ればいいね」の声が出され、その可能性として、講座の内容を短歌の歴史、歌論、実作、技法などに細分化し、それぞれ分担して学んだことを発表し合うことも一つだと考えはじめられている。歌人研究なども含めて学習会を続けている大阪府連の経験にも学び、この分野での活動を切り開いていきたい。

啄木コンクール

二〇一七年度啄木コンクールは入賞者がなく、佳作三篇と決まった。入賞者がなかったのは残念だが、今回のコンクールはこれからの発展に向けて大きな期待を生むものだった。
それは河村澄子さんが実践をもって示してくれた。河村さんは、作品「子ども食堂」の佳作受賞の報告が届く前に帰らぬ人となってしまった。河村さんは昨年の総会での役員改選に当たって、この数年病気が治まっていたこともあって、少しでも協会の役に立てればと常幹を引き受けてくださった。しかしほどなく、再検査で病気の再発が見つかり会議も欠席せざるを得ない状況になった。そんな河村さんが、自ら今回のコンクールに応募することを決め、合わせて、所属している支部の全員にコンクールへの応募を呼び掛けた。支部の全員で応募というのは容易くはない。歌をつくり始めて間もない人もいる。二十首ともなるとテーマを定めて詠わざるを得ないが、「自分にはむり」という人もいる。その人たちに暮らしのことや、関心ごとを聞き出し、歌のヒントについて親身になって相談に乗ったという。その河村さんの熱意に応えて、まさに支部員全員が応募したのだ。
河村さんをこのように激しく突き動かしたのは、昨年の協会創立七十周年記念レセプションで水野昌雄氏が呈した苦言ひと言だった。水野氏は、「仲間内だけでやっていてはだめです。会員が千人になったと喜んでいる場合ではない。『啄木コンクール』の選をしていてがっくりした。会員が千人いたら、なぜ五百人が応募しないのか」と痛烈に指摘した。それは協会への激励でもあった。
この指摘に全国の支部、会員が応えた様子がうかがえる。啄木コンクールの公募は二〇〇一年から始め、最初は応募料が無料であったからか、応募数は多く、二〇〇五年には一六三編の応募があった。二〇〇七年から応募を有料化すると応募数は減り、二〇一二年の一二〇編を最高に、後は一〇〇編前後の応募数となっている。その中で協会内の人の応募は、三〇~四〇編で、二〇一〇年の四十三編が最高であった。それが今回、応募総数百十編と持ち直し、とりわけ協会関係の応募が六十五編を数えたのだから、明らかな変化といえよう。
二〇一八年の啄木コンクールの募集が始まっている。個々人がコンクールを通じて作歌力の向上を図るとともに、支部を挙げて、応募活動を取組むようにしたい。常任幹事会は今回の目標応募総数を一五〇編に据えた。もちろん協会会員・購読者からの応募を大いに期待している。

組織拡大

この一年の協会の会員・購読者の総数は一進一退、どちらかというと漸減傾向にある。それまで何とか一〇〇〇名の大台を保ってきたが、昨年の十一月末に一〇〇〇名を割り、以後いくらか持ち直した月もあったが現在、大台回復には至っていない。
この状況を受け常幹組織部はこの間、昨年十二月、今年三月、七月に協会誌への折り込みの形で「今なら一〇〇〇名回復は可能」との緊急の訴えを出した。訴えに全国の支部、会員が応え、一定の成果があった。この一年の入退会の総計では、入ってきたのが一三一名(会員三十名、購読者一〇一名)、辞められたのが一三八名(退会四〇名、購読中止九八名)で全体でマイナスで、トータル的には伸び悩みの状況を示している。
なぜ一〇〇〇名にこだわるか。「北から南から」二二四号で水戸支部長で常幹の深谷武久氏は「歌誌の発行・運営に必要な会員数という理由なのです。千百名の目標というのも、安定した運営と持続的な歌誌の発行に欠かせないものだと思います」と端的に訴えている。
この課題を実践していくには、短歌への関心を広め、短歌の裾野を広げつつ、協会の活動への共感を得る中で歌会への参加、購読者を広め、会員への入会へと勧めるのが正道だ。そのために、具体的には啄木コンク─ルなどへの参加を呼びかけ、また、会員が所属する諸団体での要求に応えて短歌サークルなど組織することが大事になってくる。
これに関し、九月に開かれた群馬母親大会に向けての取組みはこれまでにない新しい実践だった。大会実行委員会に参加した協会会員が「初めての短歌」という分科会を提案、群馬支部とも協力し講師に奈良達雄氏を招き「三十一文字に託す平和の願い」の分科会が行われた。用意した椅子が足りなくなるほどで、参加者は三十八名。歌をつくったことがない人が半数だったというが、講演につづいて行われた実作ではどんどん歌が集まったという。この成功を受けて支部では、協会誌の購読を勧めたり、勉強会への誘いをしているという。

組織活動は意識的に

組織活動は意識的に進める必要性がある。自然に任せるなら間違いなく雪崩落ちるがごとく衰退するのは必然ともいえる。この夏のセミナーで組織部からこの一年を通じての会員、購読者の拡大で成果を上げた人が報告された。その個々の活動からはもっと学ぶべきだと感じた。
仲間増やしは絶対に数追いにしないことを秋元勇氏の先の総会発言から学ばされた。、総会後、秋元氏から「総会での発言に加筆」という手紙が送られてきた。大要は十一月号の総会発言と同様だが、送られてきた手紙の一部を紹介したい。
「この間、ある程度『新日本歌人』誌の読者を増やしてきましたが、人数よりも、毎月働きかけることができたかどうかを自分の努力の点検の基準にしてきました。入会して約六年になります。二〇一一年の一月の常任幹事会の訴えを読んでから拡大に取組みはじめ、今年の八月までの六十五か月間は毎月働きかけ、毎月ふやす(のべ一〇七人)ことができました。毎月働きかけることが大切だと思います。断られた人もかなりいます。対象者に見本誌、歌のコピー、手紙を添えて訴えてきました。購読を断られた人、また短期読者も少なくなく悩みです。私が購読をすすめて断られた人で『新日本歌人』誌を知っている人は一人もいませんでした。だから断られた人でも、見本誌を見てもらうことで、その存在を知ってもらうことができ、広い意味で協会との結びつきができたのだと前向きに考えて、これが将来必ず生きる時がくると思っています。社会の情勢が変化したとき、私たちの側から働きかけがあった時、人は変わると思っています。このように考え、断られてもめげないようにしようと自分に言い聞かせています。購読を断られた人にも、年賀状や暑中見舞いを出すよう努力し、たとえ三か月の読者でも辞めた方には購読してくれたことへのお礼の手紙を出すことに心がけています。戦後のきびしい情勢の中で新日本歌人協会をつくった方は本当に偉いと思います。組織をつくるときは大きな力を必要としますが、それを維持、発展させることはそれ以上の力が求められると思います。協会の維持、発展のためには常任幹事会をはじめとする役員だけの努力だけでなく、会員の努力と役割、支部での議論が大切と思います。こんなことを考えながら活動しています」。

事務所移転

家主の都合で十一月から事務所を移転した。最寄り駅は今までの事務所と同じJR大塚駅で、駅からはやや近くなる。ここを拠点として新しい協会の歴史を切り開いて行きたい。



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