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短歌、この一年の成果と課題( 19 年11月から 20 年10月)歌壇

短歌(歌壇)の何かが変わる予感

小石 雅夫

 はじめに

この一年はわれわれの身の周りというよりも、もっと大きく世界と言う単位、規模での何かしらが根本から軋み出して来始めた感を持たざるを得ない重圧の長い時間であった。

今年の年初間もなくから始まった新型コロナという目には見えないウィルスが次第に全世界・全人類に蔓延猖獗を欲しいままに覆い尽くし、いまや五〇〇〇万人超の感染者、百五十万人の死者に迫り、その勢いは収束の目途が未だに見えない情況である。それは国内でも感染者が一〇万人を超え、死者も二〇〇〇人に迫っていて、尋常な状態ではない。

かつての関東大震災以後、この半世紀ほどの阪神淡路大震災(一九九五)、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故(二〇一一)、西日本豪雨(二〇一七)などの自然大災害が起こってきている。これらはいずれも大きな甚大な被害と犠牲者を出している。

しかし、今回の新型コロナは自然災害とは異なり、ある地域的な発生ではなく、人間のいるところ全域に感染拡大し、覆い尽くしていくウィルスの蔓延なのである。世界中、日本中の誰もが避け難く直面している危機なのである。

以前の阪神大震災、さらには東日本大震災、福島原発事故の時などにはことに、当事者外の者がその災害・事故を詠むことを軽軽なことのように批判する一部の根強い風潮があることを眼にし耳にしたりして、その文学的・人間性の狭量さを疎んじたものだ。

だがしかし、今回の情況はそんなことを言い得る余地なく誰でもが〝等しく〟避け難く直面している危機なのである。そのことをどう捉え、見つめ、考え、表現していくか、次代に伝え残していくのかが、歌人の一人としての責任であるとつよく思う。

ここで一つをいえば、かつての関東大震災(大正12・一九二三)の折、翌13年にはアララギ発行所編『灰燼集ー大正十二年震災歌集』が編まれている。当時の個々の歌人の作の中にも散見されるが、この一冊はあの大震災の状況をリアルに知る上で貴重なものである。

ついでにいえば、この集の「巻末小言」で編者代表の島木赤彦が、
「…天変地異に遭遇した大正の歌人に多くの歌のあったのは当然であるが、これは明治以後の歌が古今集以来の題詠を離れて日常の生活に直面することを知った賜物であるとも言へる。」と書いていることにも、当時の短歌のどの方向へ向かおうとしていたかに興味深い。

 コロナ禍と短歌

まず三・四月ころからのマスクや非常事態宣言の発令・解除、自粛などの事象から、次第に具体的な現実表現がようやく出てくるようになってきた。

島木赤彦も、やはり右の後につづけて、こうも言っている。「…今回の震災の如き異常なる地変に対して、その感銘を捉へ得るのは…浅くして妥協し、軽くして喧噪に終るやうな作品の多いことは、大正歌人の誇りにはならない。…」

ではこのとてつもない状況とその現実とに直面して現在の歌人はどう捉え、見つめ、考え、表現しているだろうか。

歌壇誌や結社誌は多く、すべてを見通すことはかなりの時間と労力を充てなければ追いつかないため、さしあたり手元にある歌壇誌からを無作為にあたりながら瞥見してみた。

 

マスクしてめがねに帽子本当の自分の顔が消えてなくなる

「歌壇」10月号(久々湊盈子選) 木沢美千子

補聴器に眼鏡マスクとひしめきて今年の春の耳は重たい

「水甕」8月号 山崎 治代

コロナ禍に面会出来ぬ日々続き老健の夫に小包と文

「水甕」8月号 山下 越子

目に見えぬものに裂かれて老たちが終わりも見えずそれぞれひとり

「短歌往来」6月号 鈴木 英子

天の川ならぬコロナに隔てられ五カ月を妻と逢わぬままなる

「短歌往来」10月号 桑原 正紀

 

右の一首目は頭から顔じゅうを覆ってしまい、何だかもう自分と言うものではなくなったような人間喪失感までをこめた切ない思いを詠み込んでいる、二首目は実際に耳に幾つものものを負担させて「耳は重たい」という一見ユーモラス感覚は、これもシニカルに現状を表現している。また後の三首は、かけがえのない残生を生きている高齢者の身にとってはとてもかけがえのない時間と人間のつながりをコロナに侵され奪われている残酷さに置かれている歌である。

 

ガード下の長崎ちゃんぽんの店の内午を全灯点して無人

「歌壇」10月号 宮原  勉

感染の広まるコロナウィルスに医師より政治に頼まねばならず

「歌壇」10月号 横山 岩男

ウィルスと核とで誰もゐなくなる映画「渚にて」現実味出る

「水甕」8月号 前田 靖子

コロナ禍のGo Toキャンペーン批判すれど姉と万座の湯に使いたり

毎日歌壇(伊藤一彦選)大塚とみこ

テレワークの夫に給料大丈夫?と訊くお金の無くなる恐怖

「短歌往来」7月号 浦河 奈々

 

またこれらの歌は、コロナ禍による表面的事象より一歩踏み込んだ視点を持ちはじめた社会詠ともなっている。

映画「渚にて」は世界が核戦争の結果人類「最後の日」を描いたスタンレー・クレーマー監督、グレゴリー・ペック主演の映画。現在をその上にウィルスまでと言っている。

いずれも一連のなかに一・二首か二・三首程があるなかで「短歌」9月号に巻頭28首として掲載されている伊藤一彦の作品では数も多く、また内容的にも各局面が総体的によく把握されていると思い、少し多い引用になるが紹介したい。

 

にんげんに凶年の世となりにけり鳥はかはらず歌ひ花笑まふ
しづ心なき東京の人の眼や朝の品川をテレビに見れば
息づかひ隠してしまふ布マスク心の中まで隠さふべしや
成り立つや テイクアウトの食べ物の安さに店の収支を思ふ
来世まで飛ぶことはなきウィルスと安心させをり仏壇の父母を県初の感染者になることが恐ろしと歌ふ岩手県より
或る媼アベノマスクを手直ししババノマスクにせしと誇らか
わが父のふるさとの国の温かきぢいぢとばあばが犠牲者なりき
「コロナ死」も水死も脳死も突然死もあり得る老いを夏の月照らす
ウィルスに罪なし水に罪のなし 人みずからが招きし試練
この今を中今として生きてゐるわれか 鳥はいま空に中今

 

引用した十一首はいちいちの解説は省くが、いろいろ見て来たなかでその一首一首に今回の状況と周辺関連まで総体的に捉えていて自然、社会、政治、のいろんな視点に関わらせながら、さりげないけれどもしっかりとした批評もゆきわたっている。コロナ感染状況を詠う場合、ともすると事象・事態の枝葉をなでて終始している歌が多くなるのを気になっていたが、ようやく全体的に見わたして、視点を深めていく時期にもさしかかってきたように思う。

核武装したる国にも易々とコロナは入りて打つ手はあらず

「短歌往来」7月号 山下和代

コロナゆえ島人集えぬ隙ねらいダンプ轟々とゲートへ入る

「短歌往来」8月号 玉城寛子

「公私混同」「事実隠蔽」「安倍晋三」悪を表はす四字熟語、三つ

「歌壇」8月号 高野公彦

戦争なき七十五年、原爆惨禍から七十五年今コロナの疫

「歌壇」10月号 米田靖子

憲法の第二十五条の弱体化 政治をあばく新型コロナが

「短歌」10月号 山本 司

 

こうした時代を画すようなときに短歌がその特性をより深めながら、詠いのこすことは、万葉時代を引くまでもなく意義の大きいことである。このことは、

 

かすかなる歌なればこそ世のことを詠みおくときに証言となる

「短歌」10月号 森山 晴美

 

と改めて歌人は確認をしていることだ。

なお歌壇だけには限らず、一般の短歌愛好家のなかに新聞歌壇などにもそうした機運は近来大いに敏感である。

 

日本学術会議任命拒否事案 加藤陽子の本読みはじむ

毎日歌壇11・2(伊藤一彦選)

松木  秀

 

今回、学術会議人事に介入して任命拒否された六人のなかのひとりである加藤陽子さんの本をこの機会に関心をもって読みはじめたという歌である。ある意味で〝寝た子を起こす〟的な反面教師ともなった任命拒否である。

その著書には『それでも日本人は「戦争」を選んだ』『徴兵制と近代日本』『昭和天皇と戦争の世紀』などがある。

短歌を見直す契機として

また直接に作品ではないが、今日の日常的な短歌に関わっての歌壇的状況へのいわば一つの提起・反応として興味深く受け止めたものに、「短歌」5月号の「親父の小言」に出た浅川肇の文章があった。毎号執筆者が変わる連載コラムだが少し前に刊行の〈コレクション日本歌人選〉シリーズの「プロレタリア短歌ー歌50首」松澤俊二(笠間書院)を読んだことから書き出している。そうして、出版社の短歌年鑑を読むと政治詠が極めて少ない、と断じ、つぎのように提起─というより檄文している。

「短歌は無気力の人を養うものではない。横暴な権力に歪められた社会を直視し、もっと怒りの歌を歌え。

政治詠を禁じる指導者を疑え。彼らの批判力の欠如を嘲笑せよ。政治に社会に反撥せよ。反撥力こそ詩精神である。」
やや当時のプロレタリア短歌運動的な檄文ぶりだが、最初の二行など今日にも同感するものだ。

この回の見出しは「短歌の路上にむしろ旗を」であった。

また「うた新聞」10月号の一面には「プロレタリア短歌の視点から─前川佐美雄・没後三十年」を奥田亡洋(心の花)が書き、

 

煙突も工場も出来上がったこの街に明日から何んの言葉が生れる

「心の花」昭和三年四月号 前川佐美雄

 

など、「心の花」誌上で社会主義色の濃い歌を発表して活躍した前川佐美雄、五島茂のことなどの紹介がある。

コロナのこの一年、いろんなことが見直され回想もされる契機にもなりながら、短歌・歌壇に何かが変わる予感も覚えまた深化させなければならないことを考えさせられた。

なおこの間に歌壇の指導的な歌人が数人物故した。七月に死去した岡井隆については奈良さんが別稿をする。



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